名倉三也子:2017年3・1ビキニデーに参加して

 ビキニ被災63年そして国連核兵器禁止条約交渉会議が開催される歴史的な年に、3・1ビキニデー全国集会に新婦人川崎南支部の代表として派遣してもらいました。

 「全国集会」の前に日本原水協全国集会や久保山愛吉さんの墓前祭などがありました。2月28日の日本原水協全国集日本原水協全国集では、6コースある分科会のなかから「入門編」に参加しました。200人以上の参加があり高齢者から高校生・大学生の参加も多くこれからの運動に希望が持てる雰囲気でした。会議が始まる前に、神奈川のプレートを付けている青年に話かけてみました。県内の私立大学の1年生で校内では公に活動がしにくいため、自治会活動もほとんどないとの事。参加者のペアワークで議論した青年が舞台に登壇、東大学内で「ヒバクシャ国際署名」やメールの発信等に取り組んでいるとの報告に驚きました。

 3月1日は墓参行進・墓前祭がありました。9:15に焼津駅南口に集合、思い思いにプラカードや幟旗・横断幕と久保山愛吉さんが好きだった「赤いバラ」を持って久保山さんの眠る弘徳院へ1時間の墓参行進をしました。弘徳院では日本宗教者平和協議会の方々による墓前祭が営まれました。久保山さんの墓碑には「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」と刻まれていました。私もバラの献花をしながら反核を誓いました。

 墓前祭終了後焼津文化センターへ移動しました。神奈川県内参加者の交流会。被爆者の方々の挨拶で、私達の身近に多くの被爆者がいらっしゃると知り胸が痛くなりました。

 いよいよ「被爆63年2017年3・1ビキニデー集会」です。神奈川の交流会後大ホールに移り記念集会が開催されました。うたごえ協議会の歌声に合わせ「愛燦燦・ねがい・一本の鉛筆他」を。主催者挨拶・焼津市長挨拶があり、広島市長・長崎市長のメッセージが紹介されました。海外から参加の方からの報告の他に「第五福竜丸元乗組員」高知県被爆者の紹介・マーシャル諸島へ現地視察された代表団の報告があり、ロンゲラップ島では放射能が完全除去されていない。1980年の時点で、米国の安全宣言で帰島した島民にその後、原爆症と思われる症状があらわれました。しかし米国の補償はたったの$80だったそうです。

 72年前に広島・長崎に投下された原爆による被害を受け今なお苦しんでいる方々もまだ、多くいらっしゃいます。
今回の集会にも参加されていました。しかしこの国の首相は米国に追随して、「国連核兵器禁止条約交渉会議」(3月・6月~7月)開催に反対しました。なんとしてもこの会議が成功するように「ヒバクシャ国際署名」をいつも持ち歩き頑張って集め、交渉会議に託します。

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