安倍政権は米軍キャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てる護岸工事に着手したが、辺野古新基地建設反対運動の現場のリーダーとして知られる山城博治・沖縄平和運動センター議長は、「みんなで座り込めば新基地建設は阻止できる」と訴えている。不当な逮捕・長期勾留の後に保釈され、現在裁判闘争中の山城さんは最近東京で、全国の支援に感謝を表明し、新基地建設反対運動のこれからについて思いを語った。4月19日の参院議員会館、日比谷野外音楽堂、23日の新宿ロフトプラスワンでのスピーチから山城さんのメッセージを構成した。〈文責・星英雄〉
〈安倍政権の埋め立て強行に対して〉
現場にいた私としては、現場は現場で守るべきだと思います。300名が座り込めば工事を止めることができるので、みんな集まろう、座り込みで止めよう、と訴えたい。
週6日の工事のうち、3日止めることができれば、10年かかる工事は20年かかるわけです。勇気をもって頑張ろう、というのが私のメッセージです。翁長知事にお願いしながらも、知事がやらなければ終わりだという考え方はしない。最終的には自分たちで決するんだ、みんなの座り込みで必ず止めることができるんだ、という決意を新たにしたいと思います。
翁長知事に対し、埋め立て承認の撤回をせよという声が強くなっています。私も撤回をやるべきだと思います。国がやるというときにこそ「ノーだ」というべきです。また最高裁判所がひっくり返して強行するかもしれませんが。
新基地建設は簡単じゃない。いま、工事を着工するぞ、着工するぞというのは、ある意味、県民、国民の心を折るための見せかけの工事だと思います。ほんとうの埋め立てをするには、これからたくさん出るであろう工事変更申請が必要です。しかし、翁長知事と稲嶺市長が「ノー」といえば終わるわけです。ですから、翁長県政をつぶす、稲嶺名護市長を取り換える、この2つを実現しない限り工事はできません。
大浦湾の埋め立て工事をはじめるといっても護岸工事です。海そのものでないので、辺野古にはまだ土砂は入らないことを確認して、勇気をもって頑張りたい。
私たちが一番自信を持っているのは、辺野古ダムという水源の管理者は稲嶺名護市長です。その辺野古ダムの上に大きなベルトコンベヤーをつくって、そこから土砂をどんどん海に入れるのが政府の計画です。しかし、稲嶺市長が了解しなければベルトコンベヤーをつくることはできない。埋立予定地のど真ん中を流れている美謝川の水路変更も、稲嶺市長の了解をとらなければできません。
政府は工事着工を大々的に宣伝するだろうが、引き続き翁長県政・稲嶺市政を支え守り、権限を行使させれば工事を止めることは可能だと思う。自信をもって、これから長丁場になるであろう埋め立てをさせない取り組みをするべきだと思います。
〈まるで共謀罪の先取りだ〉
弁護団は何度も保釈申請をしたが却下され、不当な長期勾留でしたが、全国の仲間たちの大きな激励、頑張れというエールに支えられ、みなさんの前に出てくることができました。私に対する弾圧は沖縄県民全体に向けられた弾圧だと理解しています。
私の起訴状には「共謀」という言葉がいっぱい出てきます。共謀の4つの類型が示されています。1つ目。山城博治とテントで寝起きをしていた。ずっと協議をしていた。2つ目。寝起きをしないまでも、ゲート前に常時いて、山城のアジ演説をきいて拍手をした。3つ目。そうでなくても、山城の話を折にふれ、きいてきた。拍手をおくった。4つ目。たまたま大阪にやってきて、山城がアジった。ブロックを積んで、基地建設を止めようぜといったことに、拍手を送った。
なんのことはない。みんなで拍手をした、拍手をしないまでも目配せをしたということで、共謀が成立したことになる。その人と現場にいたら、共謀が成立したことになる。恐ろしい話です。政府がいう団体とは、私の属する平和運動センターとかではない。ゲート前に集まったら、違法な組織集団とされています。括りようによっては、すべて括られます。「共謀罪」を、実験的に行っているようなものです。
裁判ではなんと、防衛局の証言者が衝立に隠れて、検事の誘導に従ってぼそぼそと、山城がやった、山城が指示したという。異様です。
高江の現地に1000人の機動隊を配置して、あそこに集まった300から500人の仲間たちを無理やりごぼう抜きをして、ぶん殴って首を絞めて、車から逆さづりに落として、暴行の限りを尽くした連中です。その人たちが「姿をさらすと精神がつぶれそうだ」といったんです。ふざけるな。
私は5か月も閉じ込められて、ジャージーを着せられ靴下は脱がされ、みんなの前で手錠をかけられ、腰ひもされて、犬畜生のように扱われて。私は、そういう屈辱に耐えて堂々と法廷に立って、沖縄の私たちの闘いの正当性を明らかにしたい。
〈つらかったこと、うれしかったこと〉
名護警察署と拘置所に76日ずつ、152日間拘束されていました。拘置所では取り調べがなかったので、その意味では楽でした。警察では、逮捕、逮捕が繰り返され、罪状が追加され、少ししょげていることもありましたが、弁護団の先生方が「山城さん、心配しなくていいよ、殺されはしないから」と。そんなことで、なんとか切り抜けられました。
警察署では1つの新聞が回覧されてきますが、自分たちの関連するところは、黒塗りでなく、ハサミで切り取られています。私たちが逮捕・勾留されていたときは、たくさん記事が出ていたんですけど、全部切り抜かれていました。切り抜かれているスペースが大きいほど、扱いは大きいんだと思い、逆に、切り抜かれたところがないと、なんだ今日は記事がないのかと。
拘置所で一番つらかったのは時計がないこと。部屋にも廊下にも取調室にも、どこにも時計がないんです。時計がないと感覚がわからない。体のリズムです。いま何時かわからないと狂ってしまう。とくに消灯は早いので、夜9時に寝るとなると、一度目が覚める。明かりは消さないのでたいへんでした。
仲間たちの声が外から聞こえてくるのが一番の励みでした。歌が聞こえる、頑張れという声が聞こえる、東京から来たよ、大阪からきたよ、という声が聞こえました。警察署は狭いので聞こえましたが、拘置所は大きいから声が届かない。どこからも声が届かないところに放り込まれました。
〈現場に戻って闘いたい〉
東アジアが戦争の緊張状態にある。沖縄をふくむ東アジアが平和で豊かに生きられるように、政治家は心をくだくべきではないか。それなしに、北朝鮮のミサイルが怖い、暴走しているなどと言ってあおる。戦争は反対だ! と、声を大にして言おう。
私たちは自分たちの暮らしの中で平和を守る、暮らしを維持するために新基地建設に反対しているのです。沖縄の大先輩、瀬長亀次郎の言葉に「弾圧は友を呼ぶ」というのがあります。そうして、新たな闘いが作られるのだと思います。共謀罪が画策され、戦争法が実行さる大変な時代ですが、心折れることなく、しなやかに、したたかに、毅然として頑張っていこう。沖縄はそういう思いです。
東京のみなさん、全国のみなさん、希望をもって頑張っていきましょう。私もどうにかして現場に戻って闘いたい。
久々の山城節、健在ですね、よかった!やっぱり彼の言葉は私に勇気をくれます。昨日から新聞1面に書かれている『辺野古埋め立て着工』の文字に、身体の力が抜けていく思いでしたがこれを読んで今また気持ちが前に向いています。仙台に住んでいるためなかなか現場に行けなくて、いつもカンパをするくらいしかできないのですが、むしろ沖縄以上に本土の私たちが自分たちの問題として国に声を上げ、届けていかなくちゃ!と思っています。一緒にがんばりましょう
山城博治さん、ありがとうございました。
山城さんはわたしたちの「身代わり」だったと思っています。
その山城さんの強くて、柔軟で挫けないその精神・魂は、私の魂にしっかりと共鳴しております。
デモには参加できませんが、山城さんとともにあります。
体には十分に気を付けられますようお願いいたします。
辺野古を、沖縄を、日本を、自然を、人間を、美しくあらしめましょう。
「連帯・共同21」の星さんからの拡散依頼に応えて、辺野古や高江でお世話になった山城博治さんの4月19日の東京でのスピーチを読むよう呼びかけました。
彼は、沖縄の大先輩、瀬長亀次郎の言葉「弾圧は抵抗を呼ぶ 抵抗は友を呼ぶ」を引用して・・・
「こうして新たな闘いが作られるのだと思います。
共謀罪が画策され、戦争法が実行さる大変な時代ですが、心折れることなく、しなやかに、したたかに、毅然として頑張っていこう。沖縄は絶対にあきらめない!
「東京のみなさん、全国のみなさん、希望をもって頑張っていきましょう。私もどうにかして現場に戻って闘いたい。」と。