国会と主権者国民を欺き続ける安倍首相がいまだに政権の座に居座っている。しかし安倍政権は敗戦を機に今日まで日本国民が育んできた、憲法・戦後民主主義とは相いれない存在だ。自民党・公明党の支持者は安倍政権をいつまで支えるつもりなのか。
政治学者の御厨貴・東大先端研客員教授が5月27日の読売新聞でこう発言していた。
「大蔵省や陸軍省、内務省などの有力官庁は」「日本の戦争責任に関連すると覚しき公文書類を、すべて焼却に努めた」。「自らやってきたことをうやむやにし、公文書を軽視する姿勢はここに発した」
つまり、安倍政権の公文書隠蔽、改ざんは、戦争責任を逃れるための陸軍省や大蔵省の公文書焼却に連なる事件だ、というのである。
この間の安倍政権の対応は、敗戦時の軍部や大蔵省などの公文書償却事件とそっくりであることは間違いない。財務省は安倍首相の追及を免れようと、国有地を8億円安く売却した森友疑惑の公文書を隠蔽、改ざんした。「証拠は残すな」というわけだ。
国有地を8億円も値引きして森友学園に売却したのは、安倍首相の昭恵夫人が関与したからではないのか。財務省と官僚たちが安倍首相の意向を忖度したからではないのか。多くの国民はこう見ている。
大阪地検は佐川元理財局長らを不起訴にしたものの、異例の記者会見で不起訴の釈明を繰り返した。不起訴は多くの国民の批判を招いたが、そもそも、検察が不起訴にして終わる問題ではない。財務省も佐川氏らも、安倍首相の意向に沿って働く「使用人」にすぎない。一番の問題は、安倍政権の政治責任だ。
安倍首相はなぜ政治責任をとって辞職しないのか。戦後民主主義を否定する安倍氏の思想がそうさせるのか。興味深い一文がある。
「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」初代会長であり、安倍首相の思想的同志だった元法相、元内務官僚の故・奥野誠亮氏の「告白」が、読売新聞2015年8月10日付け、1面に掲載されている。
奥野元法相はいう。「私が各省の官房長を内務省に集め、終戦に向けた会議をひそかに開いた」
「ポツダム宣言は『戦犯の処罰』を書いていて、戦犯問題が起きるから、戦犯にかかわるような文書は全部焼いちまえ、となったんだ」。
奥野氏の告白は赤裸々で、悪びれるところがない。安倍首相や麻生財務大臣らも、てんとして恥じない。麻生大臣は、森友学園問題の決裁文書の改ざんは「悪質なものではない」とまでいってのけた。
安倍首相も、「おわび」は口にするが、「徹底的に解明し、再発防止に全力を傾注する」と居座りを図る。だが、1年間以上も主権者国民と国会をだまし続けた内閣の責任の取り方は、総辞職する以外にはない。
日本国憲法は「国民主権」を宣言し、政治権力の正統性の根拠を定めている。国民主権こそ、戦前と戦後を分かつ日本の根本的な変化の証なのだ。
日本国憲法の前文にはこう書かれている。「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理」である。
主権者国民と国会を1年以上もだまし続けてきたことは、財務省が認め、安倍首相自身も認めざるを得ない。なにか、個々のケースを裏付けるいままで以上の証拠を見せないから、安倍政権が続投しているわけではない。自民党、公明党、そして両党の支持者が支えているからにほかならない。
自民党、公明党支持者には主権者として、憲法に立脚した政治を求めるのか、それとも党利党略で安倍政権を守るのか、そのことが問われている。