【福島・沖縄からの通信】

宮里洋子:集団自決者と戦死者に合掌

 昨日、3月26日は沖縄の座間味島に米軍が上陸した日です。明日は渡嘉敷島で集団自決があった日で、慰霊祭が行われます。私は友人に呼びかけ参加します。集団自決で亡くなった人たち、多くの戦死者に合掌。

 集団自決は、国の責任を回避する自殺とか自死ではなく、旧日本軍に強制されて死に追いやられた強制集団死です。

 私は座間味島出身です。母は姉と弟の首を切り、さらに手榴弾を抜き爆破したようです。その為、若き(19歳)内間先生が亡くなりました。鬼畜米英といい、彼らの捕虜となると酷い恥ずかしめを受け殺されるのだと国に洗脳されてきました。そして天皇や国家の為に死ぬことが美徳とされました。沖縄然り、サイパンでも手榴弾や刃物を持っていない国民は「天皇陛下万歳!」と叫びながら崖っぷちから飛び降り、多くのかたが命を断ちました。

 私の首にはカミソリの傷跡はありません。手榴弾による死者、肉親同士の殺し合い。そのような現場に意気地の無い私は恐怖のあまり「死ぬのは嫌だ」と壕から逃げ出しました。生き延びた島民はあまりの辛さに長いこと口にすることもなかったようです。現に私の両親は一切話してくれませんでした。首に傷のある姉や弟も決して話しませんし、私自身も親の悪口など言えませんので長いこと沈黙していました。

 当時4歳と9カ月の私には記憶はありませんが、周囲の雰囲気で何となく両親の悪口を言われていることは察しました。「お前の親は人殺しだ」と言われたことも度々でした。両親は教員でしたので「立派な日本人とは・・・」と、師範学校(現在の教育大)で洗脳され、故郷・座間味で島民を洗脳し、自決も強要したようです。同じ壕にいました校長ご一家も、校長先生が奥様の首をきり、自らもカミソリで自決したようです。

 軍は手榴弾を島民に渡してないと言い張りますが、それなら島民が軍の弾薬庫から勝手に持ち出したのか? そんなことできるわけがありません。軍の弾薬庫から弾薬を持ち出すことは盗人とされ、問答無用と直ちに殺害されます。本来なら自決で生き残った人々は声を大にして「基地建設絶対反対!」と声を上げて欲しいのですが、もう大半の先輩達は高齢者ですし、また、他界しています。生存者も辛くて話せないと思います。

 今、日本が平和憲法を変え、戦争のできる国に,過去に向け逆走しています。もう、殺すのも殺されるのも真っ平御免です。皆様、憲法改悪には絶対反対の声を上げ、無関心な方にも語りかけてください。正義の戦争なんて絶対にありません。強欲な国家対国家にこれからの世代を巻き込むことはやめましょう。可愛い我が子や子子孫孫に、鉄砲をもって人を殺して来いと送り出すような時代の再来は絶対に食い止めたいです。 (那覇市在住)

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