アベノミクスの「三本の矢」のうち、残されていた「成長戦略」が閣議決定され、これで三本の矢のすべてがそろった。それは皮肉にも、株価が大規模金融緩和を決める前の水準にまで暴落した日の翌日であった。株価は政府の「成長戦略」の無内容を読み取っていたかのようである。
アベノミクスの「三本の矢」の第一の矢は、日銀による大規模な金融緩和によってお金をじゃぶじゃぶ大盤ぶるまいし、インフレ気分をあおり、物価が2%上昇するまでそれを続けるというもの。第二の矢は財政の機動的な出動によって、大型公共事業を復活させ、冷え込んだ需要の下支えをしようというもの。これらはすでに日銀による金融政策と政府による大型補正予算と本予算によって実施されてきた。
その効果がどうか、株価は急上昇し、日経平均株価は大規模金融緩和が始まる前(4月3日)の水準の1万2,362円から、ピーク時は1万5,627円(5月22日)へと急上昇した。多くの国民はこれで長く続いたデフレも解消し、景気が良くなると思い、安倍内閣への期待と支持は高まった。
ところが株価は5月23日に大暴落し、さらにその後も下がる一方で、6月13日には1万2,445円となった。結局上がった分だけ下がったことになり、すべてが帳消しになってしまったのである。これは第一、第二の矢は期待を膨らますだけで、実体経済を改善することができなかったことを示すものである。
官邸のホームページを見ると、第一の矢の金融緩和はデフレマインドを一掃すること、第二の矢の財政出動は湿った経済を発火させること、そして第三の矢の成長戦略は期待を行動に変えることと説明されている。つまりまずは第一、第二の矢で期待を膨らませ、そしてその期待を行動に結びつけるものとして成長戦略を位置づけていた。
ところが決定された成長戦略はまさに期待はずれであったのである。成長戦略というのなら、当然日本経済の構造問題にメスを入れ、再建の長期展望を示すものでなくてはならない。ところが打ち出された成長戦略を見ると、たくさんのメニューが掲げられているが、そのどれも日本経済の停滞の原因に迫り、そこからの脱出策を真剣に模索しようとするものではなかった。
日本経済の長期の停滞の最大の原因は、勤労者の賃金の下落や不安定な雇用の拡大などによる家計所得の低迷と、それによる消費需要の冷え込みにある。また格差が拡大し貧困層が増えているにもかかわらず、それに対するセーフティネットが縮小され、社会保障が容赦なく削られていることにある。成長戦略はこれらの日本経済の構造問題に目をそむけている。
そればかりか逆に、同時に閣議決定された「骨太の方針」では、当初の予定通りのスケジュールで財政再建の目標を堅持することとされ、消費を抑制し、格差を拡大する消費税の大増税路線と社会保障費の抑制路線が確認されている。
これでは期待を行動に変えることができるはずがない。毛利元就の遺訓は3本の矢を一つに束ねれば強いことを、三人の息子に諭すものであったが、アベノミクスの三本の矢は相互に矛盾し、その照準は当てるべき的を正確にとらえていない。