【特集:わたしと憲法】

大沼博良:国民の大事な権利が制限される 自民党憲法改正草案・驚きその2

 現憲法制定当時、文部省(当時は文部省であった)は中学生向けに「あたらしい憲法のはなし」という教科書を発行している。中味はあたらしい憲法について丁寧に説明していて、なかなか重みのある教科書である。

 その教科書の中では、憲法は国の最高法規であり大体2つのことが記されている、と書かれている。その1つは国の治めかたの規則であり、「もう1つは国民のいちばん大事な権利、すなわち『基本的人権』をきめた規則です。」と書かれている。

 「基本的人権」については

 「みなさんは日本国民のうちのひとりです。国民のひとりひとりが、かしこくなり、強くならなければ、国民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。国の力のもとは、ひとりひとりの国民にあります。そこで国は、この国民のひとりひとりの力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、国民のひとりひとりに、いろいろ大事な権利があることを、憲法できめているのです。この国民の大事な権利のことを『基本的人権』というのです。」

 と書かれている。  この文は、次の次代を担う子どもたちへの大事なメッセージになっている。

 憲法が制定された同じ時期に、教育基本法が制定されている。(その時制定された教育基本法は安倍第1次内閣の時改悪されているが)

 第1条「教育の目的」では 「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身とも健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とかかれて、

 子どもたちが1人1人の能力に応じて発達を保障されて人格の完成がなされ、同時に戦前戦中のように権力の言いなりになって自分たちの頭でものごとを考えられなかったことをやめ、自ら考えて国のあり方を考えられることを教育の目的としていた。

 だから、当然の中味の教科書である。憲法制定当時の大人たちの気持ちは子どもたちに未来の日本をしっかりと託すために「あたらしい憲法のはなし」を作ったものであるとわかる。

 自民党憲法改正草案はその意志とは真逆の方向を目指しているのです。

 憲法でいう基本的人権は「自由権」「請求権」「参政権」である。この基本的人権は「侵すことの出来ない永久の権利として、現在及び将来の国民へ与えられる。」とある。

 しかし、自民党草案では、一応権利を認めているが、条件として「公益及び公の秩序に反してはならない」や「公益及び公の秩序に反しない限り」の1文が入ってくる。

 どういうことか明らかである。侵すことの出来ない永久のものではなく、制限できるものであるということ。

 自民党憲法改正草案は今の子どもたちや青年たちの未来をまるごと戦争をする国へ駆り立てるためにも、国民の権利を根こそぎ刈り取らなければならないのだろう。

 また、憲法97条ではあらためて憲法は最高法規であると念を押しているのである。「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

 自民党改正草案では、まるごと削除されている。驚きである。

 自民党改正草案の前文で「平和主義」を削り、「愛国心」をもりこむ。さらに第9条の戦争放棄をやめ、自衛隊を国防軍として公に認められた軍隊とする。  もってのほかであるが、それにとどまらないとんでもない驚きの連続の内容に、あらためて安倍内閣の憲法改正を許すことは出来ないと思う。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)