【特集:わたしと憲法】

合田寛:憲法と「国家百年の計」

 現憲法の中心的内容は主権在民、平和主義、基本的人権など、そのどれをとっても人類普遍の原理であり、だれも否定できない当たり前の理念が掲げられている。同時にこれらの理念は簡単に実現できるものではなく、100年、200年の長い時間をかけてやっと近づくことができる高い目標である。いわば「国家百年の計」の礎としての重さをもつものである。

 この憲法のもとで、私たち日本人はその理想の実現に向けて進んできたはずであるが、どうであろうか。最近の日本の現状からみると、これらの理念は本当に日本の社会に根付いていないのではないかと疑うことが多い。

 それはこれまで日本を統治してきた政治家自身が「押し付け憲法」とか「時代遅れ」などといって、憲法を軽視してきたことと無関係ではない。なぜ軽視してきたかといえば、これらの原理が彼らの統治に不都合であり、邪魔になってきたからにちがいない。

 ほんらい憲法にもとづいて統治が行われるべきなのに、逆に統治が先にあり、それに邪魔だという理由で憲法を変えようということである。9条を変えるためにまず96条を改正するなどという考えは、そのような考えから生まれたものである。

 ここで憲法制定当時にさかのぼって考えてみたい。

 憲法制定当時の首相であった幣原喜重郎首相は、第9条に関して、「世界は私たちを非現実的な夢想家と笑うでしょう。しかし、100年後には私たちは預言者と呼ばれるかもしれません」と述べている(1946.1.24幣原・マッカーサー会談)。ここには押し付けられたという印象はみじんもなく、むしろ自信に満ちた宣言と受け取れる姿勢が感じられる。

 またこうも言っている。「戦争放棄は正義に基づく正しい道であって日本は今日この大旗を掲げて国際社会の原野を単独に進んでいくのである。その足跡を踏んで後方より従ってくる国があってもなくても、顧慮するに及ばない。…他日…列国は漸く目覚めて戦争の放棄を真剣に考えることとなるであろう。そのときは余は墓場の中にあるであろうが、その墓場の陰から後ろを振り返って列国がこの大道につき従ってくる姿を眺めて喜びとしたい」(46.3.20幣原首相、枢密院への諮詢)。

 吉田茂首相も国会答弁では、「戦争のない国に日本をその魁として、平和的国家、民主的国家と致し…、憲法においては特に第9条に交戦権放棄をうたってあるわけでございます」(46.6.24衆議院本会議答弁)と、世界平和の先駆けとなることの誇りを述べていた。

 このように憲法制定当時の政治家は、100年先、200年先を見据えて、この憲法の理念の実現しようという長期的な視野に立った理想をまがりなりにも抱いていたのである。当時の多くの日本の国民もそう願ったに違いない。そのことからいえば、まだ制定から70年もたっていないというのに、またその掲げる理想の実現はまだ遠いというのに、目先のことしか考えずにその理想の旗を降ろそうとする昨今の政治家たちの見識を私たちは疑わなければならない。

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