今から8年前、北海道大学で新聞紙に包まれた人間の頭骨6体が発見された。その1つに、「韓国東学党首魁ノ首級ナリト云フ」と墨で書かれていた。「首級」とは「討ち取った首」のことである。そんな頭骨がなぜ日本・札幌・北海道大学にあるのか。日本の研究者たちの調査・研究が始まり、「日本軍による最初のジェノサイドである東学農民戦争」に行き当たった。
それはさらに、日韓共同の歴史事実の調査・研究へとすすみ、歴史を学ぶ市民運動をも生み出した。中塚明/井上勝生/朴孟洙 著『東学農民戦争と日本 もう一つの日清戦争』(高文研、1400円プラス税)は、こうして誕生した本である。
1894年(明治27年)に始まった日清戦争で、最大の「戦死者」を出したのは交戦国ではない朝鮮だった。戦死者は3~5万人といわれる。この本は、日清戦争の陰に隠された「もう1つの日清戦争」の実態を掘り起こしてゆく。
朝鮮でなぜこれほどの戦死者が出たのか。日本の朝鮮侵略に怒って抗日闘争に立ち上がった東学農民軍・朝鮮の人々にたいし、日本が殲滅・皆殺し作戦に出たからだ。日清戦争を開始するために日本が最初にしたことは、朝鮮王宮を占領し、国王を日本のとりこにして開戦の口実をつくることだったのだ。
竹やり・火縄銃の農民軍とライフル銃の日本軍では、力の差は歴然としていた。日本軍は農民軍の捕虜を一列に並べ、銃剣で突き殺した。銃殺した。捕虜を拷問した後、焼き殺した。村落を焼き払った・・・。後の旅順虐殺や南京大虐殺につながるジェノサイドが明らかにされる。これが、天皇の詔勅で「朝鮮の独立を守る」といってはじめた日清戦争の内実である。日本軍が著した日清戦争史には計画的な王宮占領も農民軍に対する殲滅作戦も書かれてはいない。
安倍首相は日本の侵略戦争や日本軍の従軍慰安婦問題への関与と強制性を認めようとはしない。日本には、いまだにアジア太平洋戦争を「アジアの開放・独立戦争、自存自衛の戦争」と主張する人たちがいる。アジア太平洋戦争は日本を没落させたが、日清・日露戦争は日本を世界の列強にのし上げたと、「栄光の明治」を説く人たちがいる。また、日本の侵略戦争を批判する人たちのなかに、朝鮮侵略については軽視する傾向もある。〈この点については、中塚明著『現代日本の歴史認識 その自覚せざる欠落を問う』(高文研)をおすすめしたい〉
『東学農民戦争と日本』で、日本の侵略戦争は満州事変からはじまったのではないことを知る。東学農民戦争は、「栄光の明治」からアジア太平洋戦争の敗北まで、近代日本の一連の出来事の最初に位置し、その全体像を理解するうえで、欠かせないことがわかる。
日本には総じて、韓国・朝鮮を軽く、低く見る傾向があるようだ。抗日戦争を戦った「東学」の人々に対してもそうだ。だが、1998年に来日した金大中大統領は「アジアにも西欧に劣らない人権思想と、国民主権の思想があり、そのような伝統もありました」と参議院本会議場で演説した。そこで紹介されたのは、仏教、儒教とともに東学思想だった。
日本と朝鮮・韓国との関係史で、歴史の偽造は少なくない。それを正すのは、イデオロギーではなく「事実」であることがこの本からもわかる。朝鮮独立のための戦争とされていた日清戦争が朝鮮王宮の占領からはじまったことも、この本の共著者の1人、中塚明氏が日本陸軍参謀本部の日清戦史草案を発見したことによる。
新たな事実の発掘が、歴史研究と国民の歴史認識の進展に大きく寄与する。事実が持つ「説得力」だと思う。
『東学農民戦争と日本』読みました。中塚先生をはじめお三方のお仕事に学ぶところ大です。ところで、
P36,L4の[一九六〇年」は、「一八六〇年」ではありませんか。再版の際には、訂正を検討して下さい。
但し、小生の誤解だったら、御免なさい。