【連帯・社会像】

星英雄:敗戦の日に靖国神社にいって、過去の戦争と日本のこれからを考えてみた

 8月15日、日本は68回目の敗戦の日を迎えた。いわゆる満州事変にはじまる日中戦争、そしてアジア・太平洋に戦域を広げ、アメリカをも相手にした戦争は日本の敗戦で幕を閉じた。さかのぼれば、明治政府の日清戦争から、戦争と侵略による領土拡張、植民地支配をすすめた「帝国日本」が終わりを告げた日になる。そんな日本の過去とこれからに、どう向き合うべきだろうか。

 この日、靖国神社に行ってみた。地下鉄九段下駅から靖国神社への道はすでに人であふれていた。午前10時を少し過ぎたばかりだ。沿道に保守・右派の諸団体の関係者が並び、道行く人々にビラを配っている。

 照りつける太陽の下を、人の背中をみながらのろのろと神社の境内に歩を進める。拝殿まえには参拝を待つ人たちが長い列をなしている。あの戦争で肉親を亡くした遺族の方たちやその他の参拝者たちは、どんな思いをこめるのだろうか。044

 木陰で一休みして、先ほど受け取ったビラに目を通してみた。「『河野談話』の速やかな撤廃」を求める署名簿、「新しい歴史教科書をつくる会」の入会勧誘、「日本は『侵略した』のではなく『侵略された』・・・」等々。靖国神社は、こうした人たちを呼び寄せる「力」を持っているようだ。

 境内では、安倍首相の靖国参拝と、「憲法改正」の実現で「戦後体制克服」を求める「戦没者追悼中央国民集会」と称する集会も開かれている。「いまこそ憲法改正!」の声が飛ぶ。

 喧騒の靖国神社を離れて、徒歩で数分、千鳥ケ淵戦没者墓苑に向かった。ここは、アジア・太平洋戦争で亡くなった「無名」の35万余体の遺骨が納められている。もともとは、国が戦没者追悼の施設とする構想でつくられたというが、靖国神社の存在理由がなくなることを恐れた勢力の反発で、その構想は実現していない。

 この日は朝からキリスト教、仏教、平和運動団体による戦争犠牲者追悼、平和を求める集いがつづいた。 正午の時報とともに、参列した人たちが黙祷をささげた。「憲法改悪反対、脱原発、沖縄の新基地建設反対・・・」の訴えがきこえてきた。061 (2)

 この時間帯、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で行われた。天皇・皇后が参列し、安倍晋三首相が式辞を読んだ。しかしそれには、歴代首相が表明してきたアジア諸国に対する加害責任への反省を示す言葉も不戦の誓いの言葉もなかった。アジアの死者だけでも2000万人以上といわれているのに。

 靖国神社、千鳥ケ淵戦没者墓苑、日本武道館はそれぞれ直線距離にしてわずか1キロメートルに満たない位置関係にある。そこでの3様の「追悼」に、日本の戦後と国民の歴史認識がそれなりにあらわれているといえよう。

 再び靖国神社に戻った。靖国神社は明治以来、天皇の戦争による戦死者を英霊、神として祀る特殊な神社だ。戦死者が増えれば神社の勢力が増す。軍国主義の精神的支柱だった。そんな神社の性格は、付属施設の遊就館をみるとより明らかになる。

 遊就館入り口では、ゼロ戦(零式艦上戦闘機)、カノン砲が出迎える。この館の大半は、「近代史を学ぶゾーン」にあてられている。そこでは明治維新から敗戦までの歴史が、どのように語られているか。049

 たとえば日清戦争。日本軍の朝鮮王宮占領からはじまったにもかかわらず、展示は「朝鮮政府(大院君)の要請で清国軍を攻撃」という内容。日露戦争は「日本の大勝利」「(日本は)大国としての気概と自信」を得たというナレーションの映像を壁いっぱいに映し出す。

 中国への侵略開始となった満州事変は、鉄道爆破事件を中国軍によるものと大宣伝する謀略からはじまった。それが、「満州における排日運動と在満邦人の危機感が、関東軍主導による満州事変の契機となり、満州国の建設となった」とされる。

 降伏を先送りしてきたことが日本の被害を甚大にした。にもかかわらず、本土防衛の捨て石作戦とされ、日本軍による住民虐殺も問われる沖縄戦は、「軍民一体の国土防衛戦」として描かれる。

 展示の終わりは、「すべては祖国を守るため毅然と立ち向かった先人たち」と、締めくくる。日本の戦争のすべてが、日本の「自存自衛」と欧米勢力からアジア諸民族を「解放」するための戦争として描きだされているのだ。これは歴史の偽造以外のなにものでもない。

 ただ、アジアを戦場にした日本の侵略戦争は、勝った勝ったという戦果の誇示であふれているが、対米戦争から調子が変わる。真珠湾攻撃前の日米交渉で、日本は「平和を模索」したが、開戦を余儀なくされたという構図が描かれている。

 かつて、小泉元首相が靖国参拝を毎年続けた時期に展示されていた、「Roosevelt‘s Strategy(ルーズベルトの戦略) ……」という表現は消えた。太平洋戦争をひきおこし、アジア・太平洋地域に大惨害をもたらした元凶は、アメリカだったという描き方はアメリカの怒りを呼んで、修正せざるをえなくなったのだ。

 強いアメリカには逆らえない。靖国神社の卑屈さと、かえって悔しさが滲むような空間になっている。だが、基調は変わらない。

 敗戦と戦後日本の出発の描き方に、靖国神社の考えがあらわれている。昭和天皇の終戦の詔書とポツダム宣言受諾の問題だ。「終戦の詔書」は全文掲載され、ポツダム宣言は1行も記されていない。

 「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び・・・」の玉音放送で知られる昭和天皇の終戦詔書だが、きちんと読む必要がある。それは、米英と戦ったのは、日本の存続とアジアの安定を願ったためで、ポツダム宣言にあるような他国の主権を排除して領土を侵すためではない・・・というものだ。

 まさに、侵略戦争を否定し、「自存自衛」「アジア開放」の戦争だったとする靖国神社やそのご同類の「原典」といえる。

 ポツダム宣言は、アメリカ、イギリス、中国、ソ連の連合国が日本に「無条件降伏」等を求めたものだ。それは、「日本国民を欺隔し之をして世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたる者」の権力と勢力を永久にとりのぞくこと、侵略した領土の放棄、戦争犯罪人の処罰など13か条からなる。そのポツダム宣言を受入れて日本は戦後の再建をはじめた。

 ポツダム宣言を厳格に適用すれば、靖国神社は存続できなかったかもしれない内容だ。同時に、靖国神社への参拝が内心の問題、信教の自由の問題、国内問題などといってすますことはできない問題であることもわかる。そのポツダム宣言を拒否したままの存在が靖国神社なのだ。

 靖国神社を見た後は、追悼式でアジアに対する加害責任に触れなかった安倍首相の考えもよくわかる。

 ことしになって、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と国会で答弁し、河野談話、村山談話の見直しをちらつかせている。靖国神社に玉串料を奉納し「靖国への思いは変わらない」というメッセージを発信した。日本の首相として、ポツダム宣言は受入れないというつもりだろうか。安倍首相が憲法を変えて取り戻すという日本は、どんな日本なのだろうか。

 ただし、安倍首相もアメリカには逆らえない。原発を再稼動させ、成長戦略の柱にする。普天間にオスプレイを強行配備し、辺野古に新基地をつくる。TPPへの参加。どれもアメリカにとって必須の問題ばかりだ。

 かつてアジアを支配するためにアメリカと戦って負けた日本。いま安倍政権はアメリカに追随することで、アジアで優越的な日本をつくろうとしている。戦前からの、アジアを一段低いものとみなす思想だ。しかしそれが、日本の進むべき道かといえば明らかに違うと思う。

 戦争を振り返り、日本の将来を展望することは一体のものだ。平和なアジア、アジア諸国と対等平等な関係を取り結ぶ日本でこそ道は開かれる。そんな思いを強くした8月15日だった。

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