名護市にある米軍キャンプ・シュワブの第1ゲート前で毎週土曜日の夕方6時30分から7時まで、基地反対を訴えつづける親子がいる。このピースキャンドルはもう9年もの間、つづけられている。11月16日、現場で取材した。
ペットボトルの中にろうそくの明かりを灯す。それを母親の智佳子さん(52)が、基地に張り巡らされた金網に1つ1つ取り付けていく。父親の武清さん(56)も取り付けはじめた。
親子4人に「二見以北十区の会」のメンバーが加わって、6人のピースキャンドルがはじまった。「Let’s protect Henoko Bay together! 辺野古の海をみんなで守りましょう!」。横断幕を持って、道行く人びと、基地を出入りする米軍関係者に静かにアピールする。
目的は新基地建設を止めることだ。父親の武清さんはいった。「毎週ここにいることを示すことが訴えになる。3・11大震災後をみても、ろうそくの光には相手に通じる魂がある」。
ピースキャンドルを始めたころ、さまざまな嫌がらせもあったという。キャンドルの取り付けをじゃまされたこともあった。米軍のMP(軍警察)や日本の公安警察がきて、妨害されたこともあった。武清さんは職場でのけ者にされたり、仕事を干されたりした。
だが、「子どもたちに基地を背負わせたくない、子どもたちは未来に向かって生きてほしい」。渡具知さん夫妻の思いが、今日までつづけさせた。いまでは確かな手ごたえがある。
渡具知さん一家にとって1997年は忘れられない年である。 12月の名護市民投票で、新基地反対が勝利した。が、直後から 容認の動きが表面化した。この年に長男の武龍さんが生まれた。今夜は体調不良で遅れてきたが、息子の成長と新基地建設反対の歳月がそのまま重なる。
姉の和紀さん、妹の和奏さんは双子の姉妹、ともに小学校6年生だ。両親とともにゲート前に立つ理由を話してくれた。和奏さん「基地をつくってはいけないと思うし、(ピースキャンドルで)少しずつでも反対の気持ちを持ってくれる人がいると思うから」。和紀さん「自分が大人になったとき、オスプレイや基地のない沖縄になっていてほしい」。
渡具知さん親子の、静かだが、強い志がピースキャンドルをつづけさせている。