「ノー オスプレイ!」「ノー ベース!」
沖縄県宜野湾市・米軍普天間飛行場の大山ゲート前、11月19日午前7時20分。10カ月ぶりに訪れたこの場所で、「命(ぬち)どぅ宝・さらばんじぬ会」の活動は健在だった。
「ノーオスプレイ」の声と同時に突き上げるこぶし。オスプレイ反対、普天間基地閉鎖を求める横断幕やプラカード。静かだが強い抗議の意志表示を受けずには、米軍関係者が普天間基地に入っていくことはできない。
今朝の抗議活動の参加者は8人。米軍オスプレイの離着陸帯(オスプレイパッド)建設に反対している東村高江に「さらばんじぬ会」から7人が支援に行っているなかでのことだ。
「歳はとっても、命を守る思いは真っ盛り」という意味の「命どぅ宝・さらばんじぬ会」は、高齢者が中心だ。月曜~金曜の毎朝、抗議行動を継続すること自体、容易なことではない。それを、オスプレイ強行配備をきっかけに、昨年10月から続けている。思いは、「命を危険にさらす米軍基地をなくしたい」。とりわけ、「子や孫に、こんな生活環境を受け継がせるわけにはいかない。だから、粘り強く活動を継続したい」と宮平光一さん(67)は言った。
宮平さんたちの行動は非暴力、正々堂々の表現活動だ。ところが、基地に出入りする米軍車両に「ありがとう」と感謝する「オスプレイファンクラブ」という団体が現れてから、「さらばんじぬ会」ののぼりやプラカードを立てるブロックが割られたり、なくなったりするなどの妨害活動が顕著になってきた。抗議行動を監視する男たちも現れた。許しがたい行為だが、「さらばんじぬ会」の持続する活動と普天間基地撤去、辺野古への移設反対の世論の高まりに、基地容認勢力がいらだっている様子がありありとわかる。
妨害があっても、止めるわけにはいかない。市街地のど真ん中にある普天間基地とオスプレイの危険性は変わらない。いや、より危険性は増大しているといえる。オスプレイの緊急着陸地点として基地周辺の小学校を想定していることも新たにわかった。「子どもたちの命を危険にさらすことが許されていいはずがない」と、宮平さんたちは思う。
持続する抗議行動をいやがる動きは米軍にも見られた。野嵩ゲート前は、市民が抗議する場と普天間基地が黄色の線で隔てられている。その黄色の線が、自民党が参院選で大勝した翌日午後8時過ぎから深夜にかけて、普天間基地の外側に1・5メートル移された。同時に、従来のフェンスをはみ出して歩道ぎりぎりに新しいフェンスが建設された。自民党が勝って、市民が抗議する場が狭められたのだ。市民の抗議を締め出すためには手段を選ばない、米軍と日本政府の有形、無形の連携に違いない。
けれども、野嵩ゲート前の抗議行動も活発だった。ここは、平和市民連絡会が中心だ。マイクとスピーカーを使って、歩行者や基地内に訴えていた。
─沖縄県民の総意は、オスプレイの配備撤回、普天間基地の閉鎖、辺野古の新基地建設反対だ。
─県民を米軍の危険にさらしておいて、なにが日米友好だ。
─もっとも安全でなければならない学校のグランドをオスプレイの緊急避難場所にして、子どもの命が危ない。 ─マーリンズ アウト、マーリンズ ゴー ホーム
参加者は稲嶺進名護市長、新基地建設反対運動との連帯を訴えた。
実はこの日、米軍を上回る抗議の対象になったのが、政府・自民党だった。大山ゲートでも、野嵩ゲートでも怒りの声があがった。「これは沖縄県民に対する恫喝だ。怒り以外にない」「(自民党沖縄県連が)あえて東京もうでをする意図がわからん」
普天間基地の「県外移設」を約束して当選した西銘恒三郎衆議院議員と島尻安伊子参議院議員の裏切りは、議員辞職でつぐなえと叫ぶ声。辺野古への移設を強要する安倍自民党政権に対する糾弾の声が満ちていた。
この日の前日に東京で、菅義偉官房長官や石破茂自民党幹事長が自民党沖縄県連の会長・幹事長に、名護市辺野古への新基地建設を受入れるよう強く迫った。それへの怒りの噴出だった。琉球新報、沖縄タイムスはその内容を1面トップから社会面まで、厳しく批判する立場で報じた。怒りは沖縄中に広がった。
日本の対米従属は世界中に知れ渡っている。かつて、小泉純一郎首相はアメリカのブッシュ大統領の「ポチ」と呼ばれた。アメリカにつき従い、基地も自衛隊も提供する日本は世界の軽蔑の対象となっている。
そんな国際的な不名誉から、日本と日本国民を少しでも救い出すことができるのは戦後の沖縄の闘いがあるからにほかならない。米軍と日本軍による多大な犠牲者をだした沖縄戦、米軍の土地強奪と闘い、基地撤去を求めて闘い続ける沖縄。そしていま、米軍と日本政府に異議申し立てをする普天間での地道で持続的な抗議行動、辺野古、高江での反対行動がある。米軍基地に反対する沖縄とそれに連帯する全国の人々の行動があるからだと思う。