「辺野古の海にも陸にも新たな基地は造らせない」という稲嶺進名護市長の思いを共有し、稲嶺ススム後援会会長を務める渡具知武明さん(86)。10代で体験した沖縄戦が原点にある。(文責:星英雄)
ぼくは旧制中学のとき、沖縄戦に参加させられ、そして生き残りました。戦争体験者の1人として、基地ある限り戦後は終わっていない、というのが実感です。
旧制沖縄県立3中の4年生のときでした。鉄血勤皇隊に組み込まれ、沖縄の地上戦を体験した。敗戦が近づいた1945年、日本軍は沖縄の16歳から20歳ぐらいまでの男子学生を鉄血勤皇隊として、沖縄戦に動員したのです。私たちは爆弾1個を与えられ、「1人で100人、1戦車」を合言葉に、戦車に突っ込む訓練をさせられた。当時、マインドコントロールされているから、怖くない。それが教育の怖さだと思います。
多くの学友が死にました。生き延びたものとして私は、死んだ学友たちの分まで沖縄を平和な島にする、と誓いました。約束したことは守らないといけない。だから、戦争に加担する基地、新しい基地をつくらせるわけにはいかないのです。
子どもたちに2度とあの思い、経験はさせたくない。そのためにも、沖縄戦について体験者は語らないといけない。沖縄戦を風化させては、世の中がおかしくなる。
ワジワジーだ。なぜ沖縄にだけ、基地を押し付けられるのか。整理縮小というなら、県外、国外に持っていってほしい。平行移動は整理・縮小ではない。
私が疑問に思うことは、この問題になると日米安保とかの話になるが、日米安保は沖縄のためにあると錯覚しているのではないでしょうか。沖縄だけの問題ではないはずです。
戦後68年間、日米政府、日米安保に沖縄は十分つくしてきた。これ以上なにをしなければならないのか。国会議員の皆さんはいま少し、沖縄のおかれた立場を見据えて議論してほしい。
「辺野古の海にも陸にも新たな基地は造らせない」という稲嶺市長と、戦争体験者の私は意気投合したのです。名護は稲嶺市政で、基地がなくてもやっていける方向に向かいつつある。そういう状況の中で、みんなで知恵を出し合い、共同すれば、もっとよい名護市にできると思います。
次代に引き継ぐのは自然豊かな沖縄、平和で安全な沖縄です。基地ではない。市長選に勝って、沖縄の声が全国に響くようにしたい。