【福島・沖縄からの通信】

平良悦美:クリスチャンとして主権者として〈沖縄レポート⑪〉

 新基地建設に反対する17年間の辺野古の闘いのなかでも、「海上ヘリ基地建設反対・平和と名護市政民主化を求める協議会」(安次富浩共同代表ほか)が中心となって政府のボーリング調査を阻止したことは、きわめて大きな意義を持つ。辺野古内外から集まった人びとの働きとともに、平良悦美さん(79)らクリスチャンが大きな役割を果たしたことは、以外に知られていない。(文責・星英雄)

 「神さま、戦車も大砲もみんな海に持っていって捨てて下さい」

 ベトナムで米軍の爆撃が続いていた頃です、私の幼い息子たちはベトナムへ飛び立っていくB52を見て、祈りました。兄弟のベンがいるベトナムに毎日、人を殺す米軍爆撃機が飛んでいく。この沖縄島の嘉手納基地の弾薬庫から爆弾を積んで。大変な現場になっているベトナムの戦場の写真は、石川文洋さんの報道で見ていました。写真の前で息子たちは体を固くして泣きました。

 私たちには5人の息子がいます。真ん中の子は米兵と沖縄の女性によって生まれた子で里子です。ベトナムの孤児院にいるズーン・ベンという子の里親にもなりました。毎月いくばくかのお金を送り続け、手紙のやり取りもしていました。どんなに多くの親たち兄弟姉妹たちを沖縄からの爆撃で失わせたか。ベトナムでは沖縄を「悪魔の島」と呼んでいると聞いていました。私たちは出撃を止められないでいる。日本は沖縄島そのものを提供しています。私たちは殺戮に加担しているのです。1997年、辺野古に新しい基地を作ると分かったとき、「私は主権を持つ人間としてそれは許しません」とその場に体を置こうと決めたのです。

ヤグラがあった沖合いを指さす平良悦美さん(1月29日撮影)

ヤグラがあった沖合いを指さす平良悦美さん(1月29日撮影)

 週1度辺野古に通い始めて8年目のことでした。どうしても阻止したいという仲間たちとカヌーに乗る練習も積みました。ほとんど全員が泳いだ経験のない者たちです。転覆の練習もしました。2004年4月19日の朝5時15分。防衛施設局(現在の防衛局)と作業員が100人で、港に作業ヤードを作りに来ました。そのとき、私たちは浜からカヌーを出し、港の出口を塞いだのです。

 座り込みテントに掲示している日数掲示板(12月17日現在3530日)は、この日から数えています。いきなり沖に、別の港を使った船影が現れ、ボーリングのための63カ所の作業が始まったのは2004年9月9日。この日から毎日です。私たちは夜明け前に集合し、沖に出ました。

 「非暴力でなら何をしてもいい、作業を進ませないために、各自で判断し、誇りをもって行動する」「作業員も大事な人間仲間だと忘れないように」との申し合わせを毎朝確かめました。海で顔を合わせた作業員とも、「熱心に働かないでね、殺しの基地のために働いたことになったら、家族に顔が向けられないでしょ」「そうだね」と会話したりしたのです。

 陸のテントでは大勢で座り込みが続き、海ではカヌー隊が作業の邪魔を精一杯しました。私の阻止行動はクリスチャンの信仰の表現です。祈りは行動になるものなのです。カヌーで海に出ていた仲間には仏教徒や無宗教の人もいましたが、約半数はクリスチャンでした。

 ボーリング用ヤグラを4つ作られてしまいましたが、仲間が増えました。私たちはヤグラを占拠し、抵抗をつづけることができました。海にも潜ってできるかぎりの邪魔をしました。怪我人も出て救急車の世話になったこともあります。そしてついに、「市民の抵抗が激しいから」と2005年10月に政府は「ボーリング調査中止」を発表したのです。

 しかしすぐに別の案が出ました。現在日米で進めようとしている「沿岸案」です。2007年5月には自衛艦が海底機材を設置しに来て、作業は激しくなりました。恐ろしい海底抵抗行動を経験しました。誰かが死ぬと思いました。テントでは方針を変えて裁判闘争に切りかえました。

座り込みをつづける辺野古のテントと米軍キャンプ・シュワブの境につくられたフェンスには「ジュゴンのうみを壊すな!」「NO BASE」など新基地建設反対の意志表示

座り込みをつづける辺野古のテントと米軍キャンプ・シュワブの境につくられたフェンスには「ジュゴンのうみを壊すな!」「NO BASE」など新基地建設反対の意志表示

 長期の抵抗行動の副産物として、泳げなかった私も泳げるようになりました。潜れるようにもなりました。海中は地上とは別の宇宙が広がっていた。青い透明な海水、ヤグラを囲む稚魚の群れ、ゆっくりと泳ぎ回る大きな海亀、素晴らしい珊瑚の集団、海底の複雑さ。これが、ジュゴンが生息する豊かな辺野古の海なんだと感動したものです。

 いまなお、政府は辺野古に新基地をおしつけることを断念していません。世界の人々との共生を夢見るものとして、そして主権者として、これからも私は「軍事基地NO」の意志を表現しつづけます。

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