【連帯・社会像】

星英雄:原発社会の「入り口」と「出口」から日本の未来を考える 映画『福島 六ヶ所 未来への伝言』を見て

 3・11、東京電力福島第1原発事故からまもなく3年になる。いまも14万人の人々が故郷に戻れずにいる。時々、高濃度の汚染水漏れが大きく報じられても、福島の人々は、自分たちが忘れ去られようとしている不安を覚えている。われわれ1人1人、いつの間にか、大惨事を他人事のように、遠くに感じてはいないだろうか。

 東京・渋谷のオーディトリウム渋谷で、ドキュメンタリー映画『福島 六ヶ所 未来への伝言』( 監督・島田恵)をみた。

 原発事故で廃墟となった大熊町。そこから東京に避難した女性が「みんな、泣いてる」と涙する。第2子の出産を間近に控えた彼女は、放射能に怯えながら福島で子どもたちと暮らさざるをえない若い母親たちを思う。「福島は東京のために電気をつくってきた」と、農民は無念さを語る。
 原発事故は入り口で、出口は放射性廃棄物だ。青森県六ヶ所村には、核燃料再処理工場など核燃料サイクル基地の4つの核施設がある。基地建設が持ち上がった初期、漁師たちの生活をかけた反対闘争の場面は圧巻だ。しかし、札束攻勢に押されて次第に反対運動は沈静化していった。いまも「きれいな海と山を残したい」と叫ぶ漁師とともに、基地の経済的恩恵を語る人々も登場する。悲しいが、現実は複雑だ。

 六ヶ所村も福島も、貧困地域だから狙われた。歴史と構造がある。天皇の明治政府は富国強兵・殖産興業を推進したが、東北地方は「富国」の対象ではなかった。労力、食料、原料の供給地として、国内にあって植民地的役割を担わせられた。東北の兵隊たちは台湾征服戦争や韓国併合の際など、いつも前線に配されたと、歴史学者の中塚明氏からきいたことを思い出した。明治以来の、東北地方に対する差別と犠牲の構造のなかに、福島も六ヶ所村もあるのだと思う。

 避難先で、太陽の光を全身に浴びてはしゃぐ少女の映像は鮮烈だ。無事に第2子が誕生して喜ぶ夫婦。どちらも本来なら平凡な日常が、福島の過酷な現実に思いをいたらせる。六ヶ所村でも福島でも、普通の人々の生活の変転が淡々と描かれている。それが、原発を、これからを考えさせてくれる。

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