2月の東京都知事選をめぐる議論がつづいている。最大の問題は、脱原発運動にかかわってきた人々が宇都宮陣営と細川陣営に分かれてしまった脱原発運動の今後だ。25日には東京・千代田区で「東京都知事選挙の総括と今後の方向」というテーマの下、宇都宮氏を応援した海渡雄一弁護士と細川氏を応援した河合弘之弁護士による講演と討論の集いがあった。
脱原発候補1本化についての2人の主張は隔たったままだった。会場は、「細川氏を支持した人の自己批判なしに、今後はいっしょにやれない」という参加者の意見をめぐってエキサイティングな場面もあった。しかし、海渡・河合両氏が手を携えて今後も脱原発運動を盛り上げていく姿勢をアピールしたことに、参加者は共鳴し、拍手した。
私は以下のように考える。
細川陣営の都知事選総括文書にはまだお目にかかっていないが、宇都宮陣営の都知事選挙総括・確定版「市民選挙の到達としての2014宇都宮選挙」を読んで見た。ところが、宇都宮・細川をめぐる「候補者1本化」の問題にはふれていても、「脱原発」にどう取り組んだかは、なにも記述はない。「都知事選挙をたたかって」と題する宇都宮氏自身の総括文書でも、原発には1言もふれていない。驚き、がっかりした。
脱原発は非常に広範な人々をとらえているテーマだ。時事通信の都知事選出口調査では、今後の原発政策について、「原発を将来ゼロにする」と答えた人が57%、「即時ゼロにする」は27%。8割以上の都民が「脱原発」を望んでいることを示した。全国的にもこの傾向は変わらない。
首相官邸前や全国各地でつづいている脱原発運動には、60年安保世代や70年大学闘争・全共闘世代だけではなく、女性や青年、保守層が多数参加している。すでに、保革の枠を超え、「新しい社会運動」といわれる現実がある。
何よりも、3・11東京電力福島第1原発事故の反人間性の問題がある。故郷を追われ、家族を引き裂かれ、いまも放射能に怯えて13万5000人がさまよう。風向きと天候次第では、東京に高濃度放射能が降り注いだかもしれない。誰にとっても他人事ではない。多くの人々が「これまでのような社会でよいのか」という思いを抱くのは当然だ。
脱原発・原発ゼロは、エネルギー政策の転換にとどまらず、他者を犠牲にする経済成長のあり方など、これまでの日本の経済社会構造を変えずにはおかない。だから、安倍政権も自民党も、とりわけテレビメディアに有形無形の圧力を与え、都知事選で原発問題を1大争点にしないよう押さえ込んだ。そして、原発再稼動に進んでいる。
原発は命の問題なのだ。生活と人権の問題だ。東京という社会のあり方、日本という社会のあり方を考えるとき、その中心に脱原発が位置するのは当たり前ではないか。
脱原発の実現に、沖縄・名護の経験は貢献すると私は思う。
世論調査で国民の7割、8割が脱原発をのぞむように、沖縄でも基地の賛否を問えば基地反対がつねに多数を占める。しかし、選挙には利害が複雑に絡む。ビッグイシューでもそれだけで選挙は決まらない。名護市長選挙の場合、新基地建設を拒否する稲嶺進市長が再選・勝利したのは、米軍基地問題という人間の命、尊厳、人権の問題で、保革を超えた共同が実現したからだ、というのが私の理解だ。それが、選挙での「力関係」を変えたのだ。
名護市民が市民投票で新基地建設反対の意志を鮮明に示したのは1997年12月。しかしその直後から、基地容認派が3回つづけて市長選で勝利した。基地反対勢力が勝ったのは、保守系の稲嶺進氏が市長候補になり、それを共産党など沖縄の革新が支えた2010年。市民に影響力をもつ基地容認派の元市長(故人)の家族も稲嶺支持に回るなど基地反対の保守層が参集し、そして保革の協力が力関係を変えた。それが今年の再選につながった。
名護市では、市議会議員27名中、共産党は1人、社民党はゼロ。2012年の総選挙でも、共産党プラス社民党の得票率は19%に過ぎない。
稲嶺市長は、米軍基地問題は「保革のイデオロギー(安保に賛成、反対)ではなく、生活、人間としての尊厳、人権だ」と訴えてきた。基地の過酷な人間破壊が、保革の人々を連帯させたのだ。
原発の問題は、米軍基地問題と同様、人間の存在にかかわる。だからこそ、3・11後の脱原発運動は広がりと持続性があるのだと思う。ただし、社会を変えるという視点からみれば、まだまだ運動は小さい。そんななか、小泉・細川の2人の元首相が自らの無知、間違いを国民の前で明らかにし、脱原発を訴えたのは歴史的事件だったと思う。このことに象徴されるように、脱原発は明らかに、日本社会の力関係と構造を変え、戦後日本社会の画期をなす可能性を秘めている。
とはいえ、脱原発は市民運動だけで実現するのは容易ではない。政党との適切な協力・共同が必要だと思う。国会で立法化することなしに脱原発を実現し、日本社会を大きく変えることは難しい。この点で、脱原発法制定全国ネットワークの経験を真剣に総括することが求められる。
日本の脱原発運動は、戦後革新勢力内の溝と対立を克服し、保革の連帯・共同をさらに広げ、国民的規模の運動にする必要がある。その先に脱原発の実現と社会の変革があるのだと思う。