「私は基地育ちです」。生まれた時から目の前にはフェンスがあって、B52がいるなかで育ってきた。だけど年を重ね、娘たちが結婚し、孫ができてから、もうこれ以上、口にテープを張るのはやめようと思ったーー沖縄を代表する歌手、古謝美佐子さんがヘリパッド建設反対7周年の高江の集会で、米軍基地への思いを語った。
私が3歳の時、父は30歳という若さで死んだ。当時はだれもが基地の中でしか仕事ができなかった。父は基地のなかで米軍兵の車ににひかれて即死した。けれども、子どもを育てるため基地で働かざるをえない母がいた。そんな背中を見て育ってきたわけだから、思っていても口に出せなかった。だけどそれではいけない・・・
自分が小さい時から育ってきた嘉手納の町は沖縄でなかった。毎日フェンスを前にして生きてる自分たち、孫たち。もう孫たちにそんなの(引き継がせたくない)。
そして新曲2曲(「平和ぶし願いうた」「1945の春」)をうたった。参加者は基地への思いと歌に聴き入り、拍手した。
沖縄・東村高江のヘリパッド(着陸帯)建設工事に反対する「ヘリパッドいらない住民の会」は29日、座り込み7周年報告会を東村農民研修施設で開いた。住民や支援者ら会場にあふれる450人が参加した。
政府は7月にも高江のヘリパッド工事再開と辺野古の新基地ボーリング調査を同時に開始し、反対運動の力の分散を狙っている情勢が報告された。政府のやり方に対抗するために、支援者らによる「高江ヘリパッド反対現地行動連絡会」が設立された。
ヘリパッドいらない弁護団団長の池宮城紀夫弁護士は、スラップ訴訟について報告した。「国が反対運動の住民を弾圧するために裁判所を利用したとんでもないやり方だ。ふつうは権力の横暴に対して住民が立ち上がって、憲法上の権利を行使して権力の横暴を抑えようとする」と政府・防衛省を批判した。住民の上告を退けた最高裁にたいしては、民主主義の根幹である三権分立の役割を果たせていないと批判し、「高江の闘いは終わっていない。弁護団を維持・強化してたたかう」と話した。
いま沖縄では、これまでの沈黙を破って辺野古への新基地建設に反対する声があがりはじめている。そんな変化が、高江や辺野古の反対運動により力をあたえるに違いない。