【連帯・社会像】

星英雄:靖国神社、集団的自衛権、沖縄

 69回目の終戦の日の8月15日、靖国神社を訪れた。午前10時を過ぎたころ、すでに神社の敷地内は人であふれていた。10:30から、敷地内に設営されたテントのなかで、安倍晋三首相の靖国参拝の継続を求める集会がはじまった。ほどなくして、昭和天皇の玉音放送(録音)が流された。「忠良なるなんじ臣民に告ぐ・・・」「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び・・」  「終戦の詔書」を読む昭和天皇の声が流れ、テント内とその周りは頭をさげて拝聴する人たちが目立つ。しかし、参拝を終えた人たちはほとんど関心を示さない。テントの脇を通り抜け、立ち止まる人はいない。DSC00817

 「終戦の詔書」は、中国との戦争(侵略戦争)に言及していない。安倍晋三首相ら侵略戦争を認めない勢力の源流といえる。

 昨年末、安倍首相が靖国神社を参拝したことで、日中、日韓関係は険悪な状態がつづいている。同盟国アメリカは「失望した」と首相の靖国参拝を強く非難した。中国は楊潔篪(よう けつち)国務委員(外交担当、副首相級)が、「日本政府が日本軍国主義の対外侵略と植民支配の歴史を正しく認識し、深く反省できるかどうか」という問題であり、「日本とアジア隣国及び国際社会との関係の政治基盤に関わる重大な原則的問題」だと批判した。

 なぜ首相の靖国参拝が国際的に問題とされるのか。それは、日本の侵略戦争と植民地支配を日本の首相がどう受け止めているのかという歴史認識、日本という国がとりわけアジア諸国とどういう関係をつくろうとするのか、日本の基本的な立場の問題だからだ。

 日本がはじめた戦争で2000万人の死者をだし、日本国民も310万人が亡くなった。最後は、無条件降伏と民主化、非軍事化を求めるポツダム宣言を受け入れて降伏した。ポツダム宣言に基づいて、極東国際軍事裁判(東京裁判)は「平和に対する罪」などで東条英機元首相らA級戦犯を裁いたが、それも受け入れて、敗戦後、国際社会に復帰することができた。

 しかし靖国神社はそうではない。東京裁判で戦争責任を問われた東条英機元首相らA級戦犯14人を1978年に合祀(ごうし)した。日常的に侵略戦争を賛美するメッセージを発しつづけている。この神社に日本の首相が参拝すれば、国際問題化することは避けられない。

 なぜ安倍首相は靖国神社を参拝するのか。安倍首相は「戦犯を崇拝する行為であると、誤解に基づく批判がある」と弁解するが、本心ではないだろう。首相は東京裁判を「連合国側の勝者の判断による断罪」、「侵略戦争の定義は定まっていない」と国会で答弁している。

 「名にかへてこのみいくさの正しさを 来世までも語り伝へん」。この歌は、岸信介元首相が、A級戦犯容疑で逮捕されたときによんだ歌だ。侵略戦争を「みいくさ」つまり「聖戦」ととらえる戦争観、歴史認識なのだ。岸元首相の娘であり、安倍首相の母である安倍洋子氏が、『わたしの安倍晋太郎』のなかで紹介している。岸元首相は東京裁判も、勝者による一方的制裁だと否定してきた。安倍首相の靖国神社参拝はこういう思想の表れにほかならない。

 この日、安倍首相は自民党総裁の肩書で靖国神社に玉串料を奉納した。全国戦没者追悼式の式辞から、アジア諸国に対する加害責任と不戦の誓いを外した。靖国参拝は見送っても、「思い」は変わらないという発信に違いない。戦後歴代首相のなかでこれほどあからさまに侵略戦争を肯定する思想の持ち主はいない。DSC00862

 集団的自衛権の行使で、安倍首相はなにをしたいのか。議論をよんでいる。

 安倍首相が集団的自衛権の行使を容認する閣議決定を強行したことへの批判は当然だ。昨年は、憲法改正の発議要件を「衆参各院の総議員の3分の2以上の賛成」から「過半数」に緩和するために憲法96条改定を主張した。それがうまく運ばなくなり、閣議決定で解釈を変更するという乱暴極まりないやりかたで強行した。

 集団的自衛権の行使は、日本が武力攻撃をされていないにもかかわらず、他国のために武力を行使する、戦争をすることだ。戦後の安全保障政策の大転換だ。「憲法第9条の実質的な改変を、国民の中で十分に議論することすらなく、憲法に拘束されるはずの政府が閣議決定で行うということは背理であり、立憲主義に根本から違反している」と日弁連は会長声明で批判した。

 何をしたいのか。左翼の側には、かつての中国侵略戦争を想起させるかのような戦争論もある。が、それはないだろう。植民地支配で資源を吸い上げることもできない今日、戦争は国力を疲弊させるだけだ。超大国アメリカでさえできない。多くは、アメリカの「対テロ戦争」の1部をより積極的に担うことになると、見ている。

 それとの関連で、集団的自衛権行使を歓迎する日米同盟強化論者の間では、「巻き込み」論が強い。アメリカを中国との尖閣をめぐる紛争に巻き込む狙いだ、というものだ。集団的自衛権の行使について安倍首相は、日米同盟を強化し抑止力を高めるため、と言ってきた。抑止力の対象は中国だ。そこから、ねらいが「アメリカを巻き込むことにある」というのだ。

 「日米安全保障条約は日本を守るための条約だ」と信じている多くの国民とは違って、実は日米同盟強化論者、日米安保の専門家の間では、「アメリカは守らない」という不安が裏にある。そこで、いざというときに、海兵隊や在日米軍が日本のために行動させるための仕組みづくりが必要だ。そのために、日本も集団的自衛権の行使ができるようにする必要がある、という。

 日米安保の専門家の1人はこんな見方を話す。「安倍首相に対しては、対等な同盟関係をめざしているとみる人と、対米一辺倒ではないかと批判的な人がいる。集団的自衛権といっても米軍の補助的役割しか担わせてもらえないのは明らかで、対米一辺倒でしかないと私は見ている」

 岸元首相は、強烈な反米感情を抱きながら、従属的同盟者となることで日本を「アジアの盟主」とする路線を選択した。「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍首相も、アメリカを後ろ盾にして中国に対抗したいとの思いがきわめて強い。岸元首相の対米従属的「アジアの盟主」路線と重なってくる。

 安倍政権は昨14日、沖縄県名護市辺野古の海に、ブイ(浮標灯)の設置作業を開始した。市民たちの抗議行動を排除して、海底ボーリング調査、埋め立て工事を進めるためだ。その先に、アメリカに差し出すという普天間基地の代替としての新基地建設がある。米国占領下で米軍が銃剣とブルドーザーで住民の土地をとりあげ基地をつくっていった。安倍政権は名護市長選にあらわれた民意も、米軍普天間基地閉鎖・撤去、県内移設の断念を求める建白書にあらわれた県民の総意を、強権で踏みにじって新基地建設に走っている。かつての米軍といまの安倍政権に、本質的な違いはない。

 安倍政権の新基地建設強行は、今日の日米関係の実相を明らかにしてくれる。米軍占領下の1947年、昭和天皇はアメリカに向けて、「天皇メッセージ」を発した。アメリカが沖縄を長期にわたって支配することがアメリカと日本の利益になると、アメリカに媚びた。5年後、サンフランシスコ講和条約で日本は「独立」したが、それは沖縄をアメリカに売り渡すこととセットになっていた。

 1972年の復帰前、米軍施政下の沖縄から米軍機がベトナムに飛び、ベトナムの人々を殺傷した。復帰後も、沖縄の米軍基地からアフガンやイラクに米兵が向かった。戦後69年のいまも、日本の国土のわずか0.6%の沖縄県に、日本にある米軍基地の74%が集中している。

 安倍政権が強行する新基地建設は、経済的観点から中国を必要とするアメリカを日本に引き付けておくために、辺野古・名護・沖縄を「捨て石」にするものにほかならない。

 69回目の終戦の日。安倍政権に対抗する側が「日本の平和」を考えるとき、沖縄にすがり、沖縄に基地を押し付けてきたことを忘れてはいけないだろう。

 6月に取材で訪れた辺野古の浜で、高齢の女性にいわれたことを思い出す。「日本は沖縄から自立しなさいよ」

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