母の97歳の祝いで旭川に行った折、三浦綾子記念文学館を訪れた。記念文学館は『氷点』の舞台となった見本林の一角にある。三浦綾子の作品と生き様が詰まっている館内は、私にとっては心地よい空間だ。これが3度目の訪問だ。
今年は『氷点』が朝日新聞社の懸賞小説で1位入選し、三浦綾子が作家として世に出て50年になる。50年を記念して多彩な行事がつづいている。10月8日は、森下辰衛・同館特別研究員が「遺言としての『銃口』」と題して講演した。
『銃口』は、昭和の戦争がすすむ時代<天皇は神>という教育を受けた1人の男性が、やがて教師となり熱心に教えた綴り方(作文)教育で突然警察に捕まるという「北海道綴方教育連盟事件」を題材に<昭和と戦争>を描いた作品だ。(館内の説明)
森下さんの講演のさわりはこうだった。
──『銃口』は、三浦綾子がパーキンソン病と闘いながら3年半、雑誌に連載した。それまで作家として書いてきたいろいろなテーマを集約し答えを出したものといえる。たとえこの国と時代が表面上平和になったとしても、「銃口」はつねに人間を狙っている。非人間化する力に対して何をもって闘うか、希望は何か。三浦綾子が最後に到達した考えが込められている。
『銃口』というタイトルは、宮本百合子の『道標』の1場面にヒントを得たことも紹介された。宮本百合子に対する三浦綾子の思いが伝わってくるようで、興味深い。
昭和天皇の葬儀の日、主人公と妻の会話で『銃口』は終わる。
「昭和もとうとう終ったわね」
「うーん、そういうことだね。だけど、本当に終ったと言えるのかなあ。いろんなことが尾を引いているようでねえ・・・」
いまという時代に、三浦綾子が遺したメッセージの意味を考えたい。
高校の授業中に、『氷点』を夢中で読んだ。死ぬかと思っていた陽子が生きている結末にほっとしたこと、原罪はよくわからなかったこと、気が付けば体中に力をいれて読んでいたこと。そんなことなどを思い出す。
『氷点』のテーマは原罪だという。記念文学館の今回の展示は、原罪を「ジコチュウの根っこにある淋しさ」という視点で解説している。今風に、わかりやすく、ということか。「自分の絶望しか見ないジコチュウの淋しさの中で暴走していた」若い三浦綾子も描かれている。
『続氷点』と合わせて810万部のベストセラー『氷点』は「現代に何を語るか」。日本中、そして世界をも震撼させた2011年3月11日の東京電力福島第1原発事故。この事故が人間に「新たな脅威と苦しみ」を背負わせたこと、三浦綾子は早くから原発の危険性を指摘してきたことが記されている。『氷点』の時代もいまも「経済優先」の社会。それは、「”いのちの声”に耳を傾けない・・・ゲンザイの一つの姿ではないでしょうか」とパネルは問いかける。
あるエッセーがある。以前記念文学館を訪れた時、展示されていた。三浦綾子の人柄がとてもよく表れているように思い、ずっと気になっていた。旭川中央図書館の職員の方々に探してもらい、見つけることができた。「森繁久弥夫人を思う」のタイトルで、北海道新聞1991年12月8日夕刊に掲載されていた。
『天北原野』のテレビドラマ化でロケした時の話だ。森繁久弥らたくさんの俳優たちとの宴席で、どうしても食べたくなって三浦綾子はご飯に味噌汁をかけた。周りの女性たちが息をのんだその時に、森繁夫人が「わたしも1度宴会でやってみたいと思っていたのよ」と後に続いた。
「下手をすると、私の無礼はその場を白けさせたかも知れない。それを森繁夫人は見事に救ってくれた」──。
同じエッセーで、宮本百合子にも触れている。裕福な家に生まれた百合子の誕生会で、貧しい家の娘が皿をぺろぺろなめた。百合子は「今どき卵なんて貴重品だから、もったいないよね」といって自分の皿をぺろぺろなめてかばったという。
「人の非を咎(とが)めるよりも、人を許し、愛そうとする姿勢である」と三浦綾子はエッセーを締めくくっている。
2つのエピソードを通して浮き彫りになる三浦綾子の人間性。それが私には魅力なのだ。
涙が急にあふれてきました