沖縄県民は新しい沖縄県知事に「あらゆる手法を駆使して、辺野古に新基地を造らせない」と公約した翁長雄志・前那覇市長を選んだ。辺野古に新基地建設構想が浮上して以来5回目の知事選で、はじめて新基地建設推進を明確に打ち出した候補と新基地建設反対の候補が争った。それだけに、きっぱり反対を打ち出した翁長氏が圧勝したことの意味は重い。県民の総意はこれ以外にない。安倍政権は選挙結果を受け入れ、県民の意志を尊重して、新基地建設を断念するべきだ。
「沖縄の心は売らない」。知事選は、苦難の歴史を強いられた沖縄の誇りと尊厳が爆発し、安倍政権を圧倒した。
安倍政権にとって辺野古新基地建設は、日米軍事同盟強化路線の要に位置する。安倍首相は首相に就任した直後の昨年2月、日米首脳会談でオバマ大統領に新基地建設を約束した。沖縄を「捨て石」にしてアメリカを引き付けることが、中国に「力」で対抗するうえで欠かせないというのが安倍首相の考えだ。
埋め立て工事を強行し、辺野古への新基地建設を「唯一の選択肢」(菅義偉官房長官)と言い張って、安倍政権は問答無用の姿勢をみせつけた。「いまさら政権に逆らってもどうにもならんぞ」との恫喝だ。これに屈したのが仲井真氏だった。昨年12月、安倍政権の求めに応じて仲井真知事は新基地をつくるための名護市辺野古沖の埋め立てを承認した。仲井真氏は、安倍首相の「振興策」などを絶賛し、「いい正月になるなあ」と手放しで喜んだ。
埋め立て承認は、アメリカの土地強奪と闘ってきた沖縄が、自ら進んで新基地をつくり、アメリカに提供することになる。県民を代表するはずの知事が、安倍政権の単なる手ごまの1つとして使われて、それに嬉々としている図に、沖縄の誇りと尊厳がどれだけ傷つけられたか。それが、仲井真知事に対する怒りと蔑みになって跳ね返った。
保守的な風土の辺野古で、区行政の民主化を追求している「ヘリ基地建設に反対する辺野古区民の会」の西川征夫代表は、住民の怒りを感じたという。「あの男だけには入れたくない、顔もみたくないという住民の反発は強かった。これほど沖縄の誇りを傷つけ、馬鹿にする態度はないと」
伊江島の反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」の館長を務める謝花悦子さんは、「沖縄差別にたいする怒り」を語った。 県民の総意に反して日本政府が沖縄に基地を押し付けることが差別でなくて何なのか。「最近のことだけでも、10万人余の県民が結集した『オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会』の意思表示を無視して政府はオスプレイ配備を強行しました。オール沖縄で普天間撤去、辺野古新基地建設反対の『建白書』をもって東京に行きましたが、安倍首相は県民の要求には目もくれませんでした」。
伊江島には、阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)を先頭に、暴力的に土地をとりあげる米軍と闘った歴史がある。それが後の、島ぐるみ闘争の発端ともなった。阿波根の養女でもある謝花さんは、差別をなくすには島ぐるみ闘争のように沖縄が1つになることが必要だと思う。
「沖縄の戦後を振り返ると、自己決定権が踏みにじられてきた歴史だ」と、「命(ぬち)どぅ宝・さらばんじぬ会」の宮平光一さんは話す。宮平さんは「さらばんじぬ会」の仲間と共に、米軍普天間基地にオスプレイが強行配備された直前2012年9月から、普天間基地大山ゲートでオスプレイ・普天間基地に反対する早朝行動をつづけている。知事選の期間は、朝6時から大山ゲートに立ち、そして野嵩ゲートに回り、そのまま名護市のキャンプ・シュワブのゲートで座り込みに参加。帰宅して、夜は知事選のビラを配布するなど、ハードな毎日を過ごしてきた。「知事選で負ければ、沖縄は日本の国家権力の思うがままに扱われる。そうさせてはならない」という信念だ。
宮平さんは沖縄の自己決定権が踏みにじられてきた例の1つに、琉球立法院の「施政権返還に関する要請決議」をあげた。 「アメリカ合衆国による沖縄統治は,領土の不拡大及び民族自決の方向に反し,国連憲章の信託統治の条件に該当せず,国連加盟国たる日本の主権平等を無視し,統治の実態もまた国連憲章の統治に関する原則に反する」として、日本の首相や米大統領に沖縄の施政権変換を求めた。1962年2月1日のことだった。ところが日本政府はその翌日、「施政権返還に関する要請決議」に反論したのだ。
宮平さんは、沖縄県民の思いは、沖縄の北端、辺戸岬にある祖国復帰闘争碑に刻まれているといった。そこにはこんな1節がある。
「“鉄の暴風”やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、一九五二年四月二八日サンフランシスコ『平和』条約第三条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した」「一九七二年五月一五日、沖縄の祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された」
こんな沖縄の思いが、翁長氏圧勝をもたらしたのだ。
だが、知事選で勝ったとはいえ、日米両政府を相手にする前途は容易ではない。翁長新知事がぶれずに新基地建設ノーをつらぬけるか。
沖縄に平良修さんという牧師がいる。米軍支配下の1966年、沖縄の絶対的権力者として君臨する高等弁務官の就任式での祈りが「ニュース」として海外にも報じられた。「神よ、願わくば新高等弁務官が最後の高等弁務官となり、沖縄が本来の正常な状態に回復されますように」。その平良牧師は、「沖縄差別の根源は日米安保条約だ」と語っている。
名護市長選も沖縄県知事選も、戦後の基地反対闘争の支えの上に今日の結果があることは間違いない。翁長県政と沖縄の政治の今後に果たす「革新」の役割は大きい。