謹賀新年
今年は戦後70年の節目の年です。安倍政権に対抗する国民的共同に向かって前進する年にしたいと思います。
戦後70年、厳密にいえば敗戦後70年です。日本は、1931年9月18日、南満州鉄道爆破事件をねつ造して中国東北部への侵略を開始(満州事変)、1937年7月には中国への全面的侵略を開始しました。
1941年12月8日、真珠湾を奇襲攻撃、アメリカ、イギリスなどを相手に太平洋戦争に突入し、アジアのあちこちを戦場にしました。1945年、敗戦濃厚な日本は「国体護持」のため沖縄戦を展開し、沖縄に多大な犠牲を強いました。そうして8月15日、アメリカ、イギリス、中国、ソ連の連合国によるポツダム宣言を受諾して降伏しました。日本を含むアジア太平洋各国で2000万人以上の死者を出したといわれています。
日本の戦後70年は、国際的には反ファシズム戦争勝利70年です。日本が受け入れたポツダム宣言は、「日本国民を欺隔し之をして世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたる者」の権力と勢力を永久にとりのぞくこと、日本の民主化、非軍事化を求めたものです。これが、敗戦後の、日本の再出発の原点です。
戦後70年のいま、安倍首相はかつての侵略戦争を認めない歴史観や軍事強国をめざす強権的な政権運営で国民との矛盾を鋭くしています。中国や韓国との深刻な外交関係をまねき、アメリカからは「歴史修正主義者」とみられるようになりました。安倍首相によって、日本の立ち位置は世界の中できわめて異常です。
問題は、沖縄を含むこれからの日本の進路です。過去の歴史を直視し、アジアの国々と平和・友好関係の中で歩んで行くのが、日本の進む道ではないでしょうか。
安倍首相は12月の衆院選で自民、公明の政権与党が定数の3分の2議席を獲得したことを受け、「憲法改正は歴史的なチャレンジ」と、明文改憲に野心をあらわにしています。1年半後の参院選は改憲の是非が問われることになるでしょう。
安倍政権はすでに特定秘密保護法を施行し、集団的自衛権関連法案を1月からの通常国会に提出する予定です。集団的自衛権行使を容認する解釈改憲の閣議決定を法律化して実行するためです。アメリカの「対テロ戦争」に深く加担するだけでなく、米軍を後ろ盾にして「軍事力」で中国に対抗する道です。
「新基地建設ノー」の沖縄の民意をふみにじり、新基地建設を強行してアメリカに差し出すというきわめて屈辱的な安倍政権の口実は「対中抑止」です。しかし、アメリカにとっての日米軍事同盟は、日本を守るためのものではないこと、つまり日本が基地を提供する根拠はないことが次第に明らかになってきています。中国が台頭するにつれ、日米同盟強化論者の間で「アメリカは日本を守らない」という不安が増大しています。中国に傾くアメリカに見捨てられないように、必死でアメリカに抱き着こうとしているのが実情です。安倍首相が、集団的自衛権行使で日米同盟を強化するというのも、新基地をアメリカに提供しようとするのも、「抱き着き」の表れにほかならないのです。
安倍政権に対抗するために、求められていることは何でしょうか。到底、1党派だけで対抗できるはずもなく、「国民的共同」で対抗すべきだと私は考えます。
朝日新聞の世論調査では、昨年衆院選で自民党が大勝した理由は「野党に魅力がなかったから」が72%にも上りました。唯一の例外は沖縄でした。沖縄では4つの小選挙区すべてで「オール沖縄」の候補が勝利しました。衆院選後、さまざまな「受け皿」論がありましたが、「オール沖縄」こそが「受け皿」であったことを示していると思います。
新基地建設に反対する「オール沖縄」、保革の新しい共同はなぜ可能だったのか。革新勢力の力の低下と保守の分裂、両者を結び付け支える戦後の沖縄の抵抗運動・辺野古新基地建設反対世論があったからというのがとりあえずの私の理解です。要は、運動・世論の力です。
日本全体が沖縄と同じ条件だとは思わないものの、国政・全国レベルで、運動と世論を糾合する国民的共同の実現は不可能ではない、と私は考えます。安倍政権の右翼的、強権的な政治に対する国民の不安、怒りは大きい。「9条の会」をはじめとする憲法9条改悪に反対する運動・世論は全国に広がっています。
安倍政権が着々とすすめる原発再稼働に反対する世論はつねに5割を超えています。将来的に「脱原発」を望む国民はそれよりもさらに多い。2011年3月11日に発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故は、福島県民だけでなく、多くの国民が日本社会のあり方を見直す契機となって、脱原発の運動が広がっています。
アベノミクスで賃金や雇用が増えるとは、国民の多くが思っていないことも、世論調査にはあらわれています。とりわけ、若者に広がる非正規雇用、格差・貧困に国民の多くが心を痛めています。
辺野古・高江に新基地をつくらせないことはもちろん、他にも大事な問題があるでしょう。あとは、国民世論、運動を受け止める政治的受け皿をどうつくるかの問題です。1人1人は”弱者”でも大同団結・共同すれば”強者”に勝てるというのが沖縄の教訓だと思います。各党・政治勢力はどのように考えるでしょうか。