【福島・沖縄からの通信】

仲里利信:オール沖縄は今年が勝負の年だ

 沖縄は昨年、1月名護市長選、11月県知事選、12月衆院選の「3大」選挙で「辺野古新基地建設阻止」(「オール沖縄」)の候補が大差で勝利し県民の民意を天下に表明した。しかしそれにもかかわらず、安倍政権は辺野古新基地建設を強行する構えを崩さない。自民党沖縄県連顧問を辞め、自民党を離党して「オール沖縄」の形成に中心的役割をはたし、昨年衆院選で初当選した仲里利信さん(77)にきいた。(文責・星英雄)

──「オール沖縄」は、保革を越えた新潮流などといわれていますが、どのようなものですか。

 私にとって「オール沖縄」の基本は2007年9月29日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」です。あの時はじめて、保革を超えて、自民党から共産党まで心を1つにして大会を成功させた。その時私は県議会議長だったので、大会実行委委員長を務めました。

 今後、沖縄が基地問題で日米両政府と対峙するときが必ず来る。県民が1つになって闘うときがかならず来る。その先駆けになる大会だよ、とずっと言っていました。県民を二分させて統治するというのが、基地を維持する政府のやり方ですから、1つにまとまらないと勝てないんです。

 当時は安倍第一次内閣のころです。南京大虐殺があったのかなかったのかはっきりしないとか、「従軍慰安婦問題」もうやむやにする流れがありました。沖縄の「強制集団自決」もないことにされようとしていました。従来、高校の歴史教科書は、日本軍による命令で集団自決が発生したと書かれていたのに、軍の強制、軍命という主語が抜かれることにより、自分で勝手に死んだことにされる。

 しかし、間違いなく軍命による集団自決はあったのです。だから、41市町村議会が全部、検定意見の撤回決議をしました。県民大会も、5万8000人の予想をはるかに上回り、11万6000人余の人々が参加しました。この県民の怒り。これが何を意味するかといえば、2度と戦争をさせてはいけないということです。

──辺野古の新基地に反対するのは沖縄戦の体験からですね。

 100%沖縄戦だね。第2次大戦で沖縄は捨て石にされました。私は南風原町出身で、戦争のときは8歳でした。そこにいると全滅するということで、沖縄本島北部に逃げ、宜野座のガマに隠れました。しかし、中は暗いので3歳の妹と3歳のいとこの女の子がこわがって泣き止まない。ある日、銃剣を持った3人の日本兵が来て、2人に毒入りのおむすびを食べさせろというんです。家族みんなで相談して、「死ぬときは一緒」とガマから出て、あちこち逃げまわることになりました。

 戦後は、米軍の残飯で命をつなぎました。朝の3時頃に起き、米軍のトラックが積んできたドラム缶がひっくりかえるのを待つ。そうやって、ドラム缶からの残飯を腹いっぱい食べ、袋やポケットに入れて持ち帰りました。だから、戦争は「ノー」なんです。戦争につながる基地を造らせるわけにはいかないのです。

 新基地に反対するのは、政府に対する不信感も根底にあります。沖縄の私たちはいつも抑圧され、差別されてきた。日本にある米軍専用施設の74%が、国土のわずか0・6%の沖縄に押し付けられている。これ以上、沖縄が犠牲を強いられるわけにはいきません。

 辺野古の新基地は戦争につながるものです。沖縄戦の体験者として戦争につながる一切のものには「ノー」だ。新基地を造らせると、辺野古・沖縄は不沈空母・米軍の出撃基地にされる。戦後のこれまでの基地は米軍の銃剣とブルドーザーで接収された。しかし今度は、日本政府が海には自衛隊と海上保安庁の艦船を配置し、陸には警察官を配備して、まるで県民と戦をするようにして、新基地を造ろうとしている。日本政府は新年度予算で2000億円投入するが、全部で1兆円はかかる。それを無償でアメリカに提供する。どうして沖縄県民が受け入れることができますか。

──自民党の国会議員や仲井真前知事の裏切りに、たった1人で名護市の街頭で新基地反対を訴えたのはとても勇気ある行動だったと思います。

 私は教科書問題の県民大会の1年後に、政界から勇退しました。しかし、自民党の西銘恒三郎衆院議員にどうしてもと頼まれて、後援会長に引っ張り出され、また、政治にかかわるようになったのです。

 ところが、西銘議員は中央の自民党に負けて、新基地建設反対の公約をひっくり返して、辺野古への移設を容認した。この偽り、裏切りを許せますか。私は彼の後援会長を辞めました。

 さらに、当時の仲井真知事が記者会見で埋め立て承認をするという。2013年12月27日午後3時からの記者会見に合わせて、私は名護市の大通りで、こんな裏切りは許せないと演説しました。自分の運搬車に大型スピーカーをすえつけて、辺野古の新基地反対を1人で訴えました。それから連日、那覇から名護に通いました。実は稲嶺進市長の顔をみたこともない、話をしたこともなかったのですが。

 1人で訴えたことへの反応はよかった。ガソリン代の足しにといって私の家にカンパをもってくる人もいました。沖縄では門中というのですが、一族郎党が300人ほど、去年の正月に集まりました。そこで、かくかくしかじか、基地に反対している稲嶺名護市長を応援している、2度と戦争をさせてはいけないんだと話しました。政治的には保守の立場の人たちばかりなのに、反対するものは1人もいない。みんな拍手、喝采をしてくれました。保守も革新も関係ないよと。

──「オール沖縄」の皆さんは翁長県知事をはじめ、基地は経済発展の阻害要因だと、おっしゃっています。普天間や辺野古に限らず、沖縄から基地がなくなればさらに経済も発展するとお考えでしょうか。

 ますます、そんな感覚が広がっていくと思います。私は、「基地は百害あって一利なし」と言い続けています。

 沖縄にはすでに米軍基地返還の成功例がいくつもあります。たとえば、那覇の新都心は、返還前の軍の従業員数は168人、返還後は1万8000人に増えています。軍用地料(地代)は51億円しかなかったのが、返還後には経済波及効果は1000億円にもなっています。北谷町美浜などの場合も同様です。米軍基地があることで、飛行機墜落事故や人権侵害が絶えません。基地がなくなれば、沖縄はもっともっと発展すると思います。

──「オール沖縄」にとって、今年が勝負の年とみているようですね。

 今年は戦後70年の節目に当たります。辺野古の新基地建設反対も正念場を迎えると思います。日本政府は浮桟橋の再設置を強行しましたが、県民はあきらめないで闘い続けることです。いまが剣が峰です。

 安倍政権にいいたい。新基地建設を強行すると、流血の事態を招くかもしれない。県民の怒りはそれほど強い。沖縄の民意を尊重するべきです。

 国際世論、国連や米政府にも訴えていきます。私も共同代表をつとめる「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」もそうします。日本政府は差別的で非民主的だという国際世論をつくりたい。

 今年は沖縄の政治をさらに変えるチャンスの年だとも思っています。そのためには、今年もこれからも、「オール沖縄」でいかないといけません。自民党、公明党にも「オール沖縄」の流れを知らしめて、広く包含する必要があると思います。「オール沖縄」を定着させる1年にしたい。

 私は政党にこだわりません。いくつかの党会派から入党会を誘われましたが、私は無所属を貫きます。実は、無所属だから東京の議員宿舎もまだ割り当てられないんです。自民党は数の力で多くを割り当てられ直ちに入居できるが、無所属は除外されるため、私はいまだに割り当てがありません。どうなっているんですか、国会というところは。でも私は「オール沖縄」ですから、ぶれません。

仲里利信:オール沖縄は今年が勝負の年だ” への1件のコメント

  1. 仲里議員の真摯な一言ひとことに身が引き締まりました。「オール沖縄」の精神をどれだけ多くの人がつかむかに・・日本の夜明けは決まるかも・・。

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