「オール沖縄」の知事となった翁長雄志さんには、稲嶺進名護市長のように、新基地建設のためには県の土地は使わせない、一切の協力はしないと言ってほしい。ちょっと、腹の座り方が気になります。
翁長さんは保守政治家だと自ら強調してきました。政府と正面から対立することはできる限り避けたいと思っているのかもしれません。ですが、安倍政権はあくまで新基地建設を強行しています。
埋め立て承認撤回・取り消しの問題があります。知事が取り消しをしたとしても、安倍政権は対抗措置として行政訴訟を起こすでしょう。 米軍用地の強制使用手続きをめぐる代理署名訴訟で、大田昌秀知事(当時)が最高裁で敗けた例もあります。裁判所は誰の味方か。安倍政権が相手だけに、単純ではないと思います。
「あらゆる手法を駆使して辺野古に新基地をつくらせない」の公約を実現するため、県民と共に安倍政権に対抗するためにも、もやもや感を一掃してほしい。
とはいえ、沖縄にとって「オール沖縄」の立ち位置は後戻りできないものだと思います。とくに、翁長さん自身、後戻りできない立ち場にあると私はみています。
知事候補に翁長さんを擁立したのは革新・中道側で、翁長さんが獲得した得票も、旧来の革新・中道支持票が8割、2割が保守支持票です。翁長さん自身、かつて保守が踏み込んだことのない基地反対の運動のなかに、身を置いているのが現実です。
2013年1月28日、沖縄は安倍晋三首相に「建白書」を直接手渡しました。「建白書」はオスプレイの配備撤回、普天間基地の閉鎖、県内移設の断念を求めるもので、その先頭に立っていたのが共同代表だった翁長さんです。2012年9月、オスプレイ反対で、普天間基地野嵩ゲートで座り込むなど翁長さんは県民の先頭に立ち、県選出自民党国会議員や自民党県連が辺野古移設容認に転換し、前仲井真知事も辺野古移設を容認して辺野古埋め立てを承認した後も、辺野古新基地建設反対の姿勢を崩さなかった。県民の目にはオスプレイ反対、辺野古新基地建設反対の先頭に立ってきたという印象が強くあります。
革新の側も変わりました。1968年11月の主席公選など「3大選挙」のときから、社会大衆党・社会党(社民党)・人民党(共産党)などと労働団体などが「革新共闘会議」をつくり、統一候補を擁立して知事選を闘ってきました。今日まで続く保守対革新が対決する沖縄の政治構造です。近年の革新政党などによる「候補者選考」でも、まず政策骨子を決め、その政策にふさわしい候補者を決めていきますので、常に「革新の冠」をかぶっていました。
今回は、勝てる候補者を担ぎたいという革新側の思惑もあって、翁長さんを念頭に進めたので、かつてとは違いました。政策的あいまいさも生じたと思いますが、他方、従来の革新共闘の枠組みから脱皮して、幅広い県民共闘的なものに移っていきました。
知事選後の衆院選も、「オール沖縄」候補が1~4区の全小選挙区で自民前職候補に勝利しました。圧倒的な「オール沖縄」の勝利でした。沖縄では、「共闘」の場合は政党を離脱するというのが革新共闘の基本でしたが、今回は政党候補者のまま立候補し、当選後も各人は政党に所属したままでいる。これも今までにない流れで、知事選が与えた大きな影響です。オール沖縄という大きなベクトルが働いているということです。そういう流れができると今後は後には戻れないでしょう。
革新か保守かという2分法で闘われてきたこれまでの選挙ですが、沖縄の今後は「革新か保守か」ではなく、「オール沖縄」か政府・自民党かの対決の流れになっていくだろうと思います。
ただ、懸念がないわけではありません。保革は基地だけで対立していたわけではありません。保守の側から腹6分、腹8部でという議論が出されたので、社民、共産は従来の政策を遠慮することになったと思います。実際、知事選の政策をすんなりとまとめたわけではなかったようです。
しかし「オール沖縄」とは別れられない。一緒にならないと弱いから、強大な日米両政府を相手にするには沖縄がまとまらないといけないのです。これが1番大事なことです。
「オール沖縄」は沖縄の歴史的転換だと思います。なぜかといえば、これまでのような基地反対や環境保護運動の運動ではなく、全県民的な運動だからです。
「建白書」がもとになり、島ぐるみ会議が立ち上がりました。沖縄ではヤマトに依存しない沖縄、沖縄の自立という意識が芽生えてきている。この大きな流れがオール沖縄をつくり、翁長県政を実現したのです。革新政党も、そういう流れに踏み込まざるを得なかったということです。
翁長さん自身も最終日の打ち上げ選挙演説で「自分たちがオール沖縄の流れの中でつくろうとしているよりも、県民はもっと前にいる」と述べました。つまり、県民はすでにオール沖縄なのです。沖縄県民は戻ることのできない「オール沖縄」の大きな流れの中にいると言ったわけです。
かつて沖縄の保守は「生活と経済」のためには基地に目をつぶらないといけないという考えでした。政府に協力して経済振興をはかるという立場です。革新は従来から「平和と尊厳」を重視する立場で、同時に基地がないほうが経済も発展する、騒音や犯罪など基地被害をなくすことができる、と主張してきました。
「沖縄の保守」である翁長さんたちが、「もう基地は受け入れない」と転換し、沖縄の革新と手を取り合って保革を乗り越えたことで昨年の翁長知事の誕生につながったのです。
「オール沖縄」は、強権的な安倍政権への対抗の意味もありますが、復帰後40年を過ぎてもなお変わらず広大な基地が沖縄に押し付けられている現実が、沖縄県民を動かしているのです。平和憲法の日本に復帰しても、米軍基地と米軍の存在が、沖縄県民の命と人権を踏みにじりつづけている沖縄の現実は変わっていません。
沖縄経済に占める米軍の比率は1972年の日本復帰の時点で15%。それが今日4%台に低下しています。沖縄経済が発展し、基地跡地利用の進展に伴い、基地は必要ないのだという認識が広がりました。むしろ基地は沖縄の経済発展の阻害要因として多くの沖縄県民が実感するようになりました。
日本経済が沈む中で、沖縄では東アジアの経済発展の影響もあり、観光客も国内だけでなく東アジア各国からも含めて700万人台を突破し、経済が発展し続けているのは確かです。そのために、沖縄に基地を押し付けようとする日米両政府への反発は強くなるばかりです。
特に、国土の0.6%の沖縄に米軍専用施設の74%が集中している現状は、日本政府に沖縄が差別されているという県民の思いを強くしています。それらがいまの沖縄の状況を作り出しているのです。
昨年1月の辺野古新基地建設に反対する稲嶺進名護市長の再選、9月の名護市議会議員選挙での与党多数の継続、11月知事選での辺野古新基地建設に反対する翁長雄志候補の圧勝、12月衆院選挙での全選挙区での辺野古新基地建設に反対する「オール沖縄」候補の当選で、繰り返して示された沖縄県民の意思を無視して、辺野古新基地建設を強行する安倍政権に対して大きな県民の怒りが生れています。
そのような中で、沖縄では「自己決定権」をめぐる議論が深められています。日米政府による辺野古新基地建設強行に対して、沖縄が沖縄県民の意思として辺野古基地建設を拒否する権利があるとする根拠を、国連憲章や世界人権宣言、国際人権規約(1966年採択、79年日本批准)に求めるものです。昨年6月に結成された「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」の理論的支柱ともなっています。
さらには、「自己決定権」を確立するために沖縄の独立をめざす議論も「琉球民族独立総合研究学会」が2013年5月15日に研究者を含めて設立され「琉球独立」を真剣に討議するようになっています。 いずれにせよ、安倍政権が辺野古新基地建設を強行し、辺野古沿岸や大浦湾の埋め立てが強行されればされるほど、日本政府と沖縄の乖離は大きくなっていき、最終的には沖縄において日本政府が信頼を喪失するカタストロフに至る可能性があります。
【伊波さんは沖縄県宜野湾市長を2期務めた後、2010年県知事選に出馬し仲井真前知事に敗れた。しかしその後も、辺野古新基地建設反対・基地問題の解決のために全国で講演するなど精力的に活動している。宜野湾市の簡素な事務所で、沖縄・日本・アメリカの関係を視野に入れた話をきかせていただいた。ここではその1部を紹介した。星英雄】
◇ ◇
<沖縄は昨年、名護市長選挙、沖縄県知事選挙などで辺野古新基地建設反対の「オール沖縄」候補が勝利した。しかしいまも、沖縄の民意を無視し新基地建設を強行する安倍政権と闘いつづけている。沖縄のいまを理解するために、伊波洋一・元宜野湾市長、宮城篤実・元嘉手納町長、新崎盛暉・沖縄大学名誉教授、高嶺朝一・前琉球新報社長、金井創・牧師、松田藤子・ヘリ基地いらない二見以北10区の会会長の各氏の発言を順に掲載します>
これは良い企画ですね。伊波さんの政情勢分析でオール沖縄の実態がより深くつかめました。
今後、宮城篤実・元嘉手納町長、新崎盛暉・沖縄大学名誉教授、高嶺朝一・前琉球新報社長、金井創・牧師、松田藤子・ヘリ基地いらない二見以北10区の会会長の人選も良く、様々な観点からの話が聴けるものと期待しています。
力強く内容豊かになインタビュうになるよう頑張って下さい。 敬具。
保守の側も革新の側も変わることによって、オール沖縄ができたという分析は、本土の国民運動の今後にも大いに参考になります。
翁長さんが「建白書」運動から出てきたように、もともと新基地建設反対は保守も一緒に掲げていたことです。安倍政権が沖縄への犠牲押し付けを強めたことで、旧来の保守も政府を支持できなくなったのではないでしょうか。そこに安倍政権、自民党政府のおちこんだ窮地があると思います。