【福島・沖縄からの通信】

高嶺朝一:沖縄のアイデンティティーは普遍性をもっている

 私たちは何者か──。辺野古の新基地建設に反対する闘いは、このことを考えさせてくれます。沖縄のアイデンティティーのことです。

 私も時々、辺野古の座り込みに参加しています。いま辺野古の問題を通して県民の1人1人が、政治家も経済人も、個人も組織も、沖縄のアイデンティティ一について思いをめぐらせているのではないでしょうか。辺野古の闘いは、単なる基地反対運動ではなくて、沖縄の歴史を考え、今後の沖縄をどうつくっていくかという議論と実践の場になっているということを、私は強く感じています。

 新基地建設反対の闘いを通して沖縄が求めていることは、個人の尊厳や人権の尊重、自己決定権です。どれもが、普遍的な問題だと思います。

 アメリカの独立宣言は生命、自由、幸福を追求する権利、政府を選ぶ権利は不可侵であること をうたっています。国連憲章も前文で、基本的人権や人間の尊厳、そして大国も小国も尊重されなくてはいけないといっています。日本国憲法の前文や9条も、沖縄が求めることと共通していると思います。

 昨年12月にアメリカ・ハワイ州の知事に就任したデヴィッド・イゲ氏も、自分たちは何者であるか、ということを考えるのが、政治、行政の基本だと話しています。それは「アロハの心」だとイゲ氏はいいます。自分のことだけでなく、他の人々を大切にする。それが政治・行政の基本だというのです。沖縄の言葉でいえば「いちゃりばちょ-で-(行きあえば皆兄弟)」と同じ意味になると思います。

 辺野古の運動も一部の人たちだけの運動ではありません。アメリカが独立宣言でやろうとして、いまだ実現していないことを、沖縄は非暴力で血を流さずに、とりくんでいるのだと思います。

高嶺朝一さん

高嶺朝一さん

 自分たちは何者であるのか、沖縄のアイデンティティーとは何かについて考える時、沖縄の歴史について考えざるをえません。

 ことしは戦後70年の年です。沖縄には、本土防衛の「捨て石」とされた沖縄戦の体験があります。サンフランシスコ条約で日本が主権を回復した後も米軍支配はつづき、27年間も米軍統治下にありました。日本への復帰運動も大変なエネルギーを要し、ようやく復帰を実現しました。米軍の弾圧と闘って復帰を実現したのですから、沖縄の運動はもっと評価されてよいと思います。

 ただし、自分たちが望むような復帰ではありませんでした。米軍基地があり、米兵によって県民の命、人権が脅かされる状態は続きました。日米安保条約の下で、沖縄は軍事植民地というべき状態に置かれてきたのです。

 沖縄の人たちの権利を守るために日本政府は何もしない。というより地位協定で明らかですが、日本政府は自らすすんで沖縄をそんな状態に置きつづけてきたといえます。

 こういう状態はうんざりだ、もうそろそろ終わりにしたい、というのが県民の偽らざる感情です。とくに、60歳代以上の人たちは、この状態を片づけたいという気持ちが強く、その象徴が辺野古だと思います。

 私たちと同世代かそれより上の世代は、経済人も研究者も、どんな職業であるかに関係なく、政治的立場にも関係なく、自民党を支持してきた人たちも、辺野古の現場にいかない人たちも、もうそろそろいいんじゃないか、というのが共通した感情です。新基地建設に反対する「オール沖縄」にとっては、それが一番大きい。

 安倍政権は中国脅威論を振りまいて、中国に対する抑止力が必要だといいますが、沖縄から見ると、周辺の中国、韓国、台湾、アジアの国々と仲良くする以外に、沖縄の発展の道はないと思います。軍事的トラブルや緊張があると、すぐ生活に影響します。

 ミサイル訓練で軍事的緊張が高まると、八重山の漁民たちは漁に出られない。中国と対立すると中国人の観光客は沖縄に来ない。安倍首相たちの中国脅威論に同調する人はほとんどいません。

 沖縄の基地問題は、中央対地方の問題でもあると思います。かつて1 9 6 0年代は、安全保障・基地問題は全国の問題でした。それが、いまは沖縄の1地方の問題にされています。しかし、中央と地方の矛盾は、多くの地方が感じていることです。原発や東日本大震災の被害を受けた福島県や、宮城県、岩手県などは政府に「温度差」を感じていることがわかります。辺野古の問題は多くの地方で理解されやすい問題でもあると思います。

 国際政治学者の宮里政玄さんは「弱者の論理」を主張しています。沖縄の直接的な運動が、たとえば基地を包囲したり、選挙で基地反対の市長、知事、国会議員を選ぶことで、日本の政治や米国の政治を動かすことができるようにするという考え方です。沖縄の直接的パワーが日本の政治、アメリカの政治を動かす間接的パワーに発展する、ということです。

 復帰運動ではそれが施政権の返還となって実現しました。基地問題では、辺野古、高江の運動は少人数の座り込みから始まったわけですが、市長、知事、国会議員選挙と「オール沖縄」の推す候補者が勝利し、直接的パワーとして効果をあげるようになりました。しかしまだ、米日政府を動かすパワーにはなっていませんが。

 世界をみても、ほとんどの人々が「弱者」の立場で、ほんの1部の人間だけが「強者」の立場です。国家レベルでも、アメリカ、中国、ロシアなどを除けば覇権を持たない国々ばかりです。世界の大部分は沖縄と同じ「弱者」、つまり、沖縄と連帯できる国々と人々だといえると思います。

 ハワイ州知事の「アロハの心」は、政治・行政にみんなが参加してほしいというものです。選挙で代表者を選んで終わりではなく、政策決定の過程から参加してほしいと呼び掛けています。このことは、翁長県政にとっても大事なことだと私は思います。

 日本全体がそうだと思いますが、市町村でも、県や国の場合でも、インナーサークルで政治をしている現実があります。しかし、もうそういう時代ではないでしょう。豊富な知識を持った市民がたくさんいる時代です。行政の政策決定にかかわって、議論の過程から市民に参加してもらうほうがいい。とくに基地問題はそうだと思います。最終的に決断するのは政治家としても、市民が参加するほうが、効率的で間違わない政治ができるのではないでしょうか。

 基本的人権が守られ、1人1人が人間として尊重される政治・行政の仕組みをつくっていこうとすれば、辺野古新基地建設を認めるわけにはいきません。そして、新しい政治の基本は市民に参加してもらうことです。普通の人々が政治・行政に参加していくことが沖縄にとってもこれからの課題だと、辺野古の闘いが教えてくれていると思います。

【沖縄には琉球新報と沖縄タイムスという2つの新聞がある。沖縄の著名な保守政治家は、この2紙がなかったら、オール沖縄として「沖縄県民の意志をまとめきることはできなかった」と、その役割を評価した。高嶺さんは琉球新報の編集局長、社長を歴任した。そしていまもジャーナリストとして、沖縄と世界をウオッチし続けている。星英雄】

高嶺朝一:沖縄のアイデンティティーは普遍性をもっている” への2件のコメント

  1. 沖縄の自治が、失われたら、次は、日本の本土の自治、または、民主主義が、失われる気がします。ただ、日本政府も同じ日本人のはず、何が敵なのかよくわからないのですが?沖縄の人たちの権利が、守られる事を願います。

  2. 私たち世代のウムイを次世代にいかに引き続くかが大きな課題だね。

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