シンガポールの元首相で建国の父といわれるリー・クアンユー氏が亡くなった。日本のメディアも大きな扱いで、リー元首相の業績などを紹介しているが、これに関連して私が思い出すのは、日本の元首相、橋本龍太郎氏のことだ。
橋本元首相は亡くなる直前、自民党のアジア戦略研究会で話をした。中国の台頭を、アメリカも日本も意識しだしたころのことだ。「いつ、どこで日本が第2次世界大戦への道を歩んでしまったのか、そしてその傷跡をなぜまだ消しきれないでいるんだろう、今日はそんなことを一緒に考えていただきたい」と話し始めた。
現職の首相として1997年1月、シンガポールを訪問したときの外交秘話も語られた。当時のゴー・チョクトン首相から、日本がシンガポールを占領し、華僑を虐殺したことを忘れないための記念碑・血債の塔への参拝を求められ、1度は了解したこと。逆に、シンガポールで処刑されたB・C級戦犯の墓に首相として参拝することを求め、結局、ゴー・チョクトン氏とリー・クアンユー氏とが話し合って、どちらもなかったことにしたという。
そんな秘話を語りながら元首相がいったことは、「日本に一番必要なのは、相手の立場に自分を置いて考える、それが一番大事なんじゃないか」ということだった。
「決して彼らは第二次世界大戦中の日本のことを忘れてはいない」。「その上で黙ってやっているんだと、これは、いろんな時に感じさせられてきました」
「第二次世界大戦にまつわる思い出を少しでも理解してあげたら、私は日本のアジア戦略というものが変わってくるんじゃないだろうかと、しみじみと感じさせられています」
元首相は、「中国を世界の中から排除することはできない」と話し、日本が「アジア、世界で戦える武器は環境なんだ」と語った。
橋本元首相は、首相として靖国神社に参拝し、クリントン米大統領とともに、日米安保体制をアジア・太平洋地域に拡大する「日米安保共同宣言」を発したが、この日の話に軍事力は登場しなかった。
橋本元首相は、日本に侵略された国々、人々の痛みを理解することが、アジア戦略の基本になければならないと言いたかったのだ。2005年に政界を引退し、2006年5月11日に話をして、直後の7月1日に亡くなった。いわばこの日の話は元首相の”遺言”のようなものだと思う。