【特集:国民的共同をめざして】

利根川麻江:教室から見える「安倍教育改革」

 長い間教師をしていて、最近、子どもたちの様子にとまどうことが多くなった。授業の中で、学級や学校での生活の中で、「なぜ?」「どうして?」という疑問をもたなくなってきていると感じることが増えたのだ。

 授業の中では、誰かが正解を言ってくれるのを待っている。生活の中では、指示がなければ動かない。そんな子ども達が増えている。自分から何かを学ぼう、自分たちで何かをやろうとする意欲や楽しみを持っていない。

 いつからこうなってきたのだろう。

 思い当たるのは2006年教育基本法「改正」だ。愛国心等が強調され、道徳の教科化が取りざたされ始めた頃から、こうした傾向に拍車がかかってきたように思う。

 「あいさつのできる子」「大きな声で返事のできる子」などなど。学校現場では、「目指すべき子ども像」が、そのまま教育の目的であるかのような雰囲気が蔓延している。

 子ども達の表面しか見ない教育は、同時に、反抗しない子ども、意見を言わない子どもを育てることになる。教師は、その目的に合わない子ども達を力ずくででも従わせようと、威圧的になる。それでもできない子は、学校、教室から排除する。

 なぜなら、教師自身も同じ状況に追い込まれているからだ。

 教職員の人事評価制度導入により、教師達の多くは、子どもたちのことよりも自分の評価がどうなるか気にしている。評価査定の結果が給与にも連動されるのだから、なおさらだ。だから、文科省・教育委員会・校長にとって「素直な教師」が普通になってくる。

 目の前の子ども達の声に耳を傾け、保護者の悩みを受け止める。同僚と力を合わせて、子ども達のために「より良い教育」「より良い授業」とは何かを考える。教師本来の喜び、教育そもそもの姿が、学校現場から消えていく。上司の指示を待ち、指示通りに動くだけの教師がつくられている。

 もの言わぬ教師をつくる教育政策が進んでいる。もの言わぬ教師たちが、もの言わぬ「素直な子どもたち」を育てている。

 そして、もの言わぬ国民をつくっていく。

 それが安倍教育改革の本当のねらいなのだと思う。

 「学力」が落ちたと大きく宣伝し、教師や保護者の目をテストで計れる「学力」に向けさせる。いじめや少年の凶悪犯罪が増えたと不安をあおって、だから道徳教育が大切だと世論に訴える。

 誰も反対できないようなことから、巧妙に「安倍教育改革」が進められている。    学校現場から見える「安倍教育改革」は、子ども達を決して「主権者」にしないための教育だ。教師の指示通りに動く「素直な子」は、いずれは上司の指示通りに働く「素直な社会人」、上官の指示通りに戦地で闘う「素直な兵隊」になるだろう。(教師)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)