安倍首相は3月20日の参院予算委で、維新の会の真山勇一氏の質問に、自衛隊が各国軍隊と共同訓練していることについて、「わが軍の透明性を上げていくことについては大きな成果を上げている」と発言した。この発言にも拘わらず、「予算委はそのまま何事もなかったように続けられた」(東京新聞25日)が、さすがにその後、野党が問題にし始めた。
ところが、菅義偉官房長官は25日の記者会見で、「自衛隊はわが国の防衛を主たる任務としている。そのような組織を軍隊と呼ぶのであれば、自衛隊も軍隊の一つと言うことだ」「自衛隊は一般的に国際法上は軍隊に該当することになっている。自衛隊が軍隊かどうかと言うのは、軍隊の定義いかんによる」と発言、首相答弁については「全体の流れとして、外国の軍隊と共同訓練をしていることに対しての質問の中で自衛隊を『我が軍』と述べた。答弁の誤りには全く当たらない」(朝日25日夕刊)とうそぶいた。
改めて書くまでもないが、憲法第9条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」としている。
ところが一方で、朝鮮戦争時に始まった警察予備隊は、講和条約発効に伴い、1952年10月15日に保安隊に改組。そして、1954年3月、日米相互防衛援助協定が結ばれ、6月、自衛隊法と防衛庁設置法が成立し、翌7月に陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊の管理・運営を行う防衛庁が発足した。
英語では、警察予備隊は「National Police Reserve」であるのに対し、保安隊は「National Safety Forces」、自衛隊は「Japan Self-Defense Forces」、つまり「Forces=軍」である。そこで、憲法に禁止される「軍」ではないか、という議論が広がり、自衛隊の実態もどんどん強化されてきた。そこで、政府はこの自衛隊が禁止される軍隊ではなくするために、行動を制限する理論を作り、その政府の憲法解釈が、「自衛隊合憲論」を支えてきた。
つまり、「専守防衛」論である。日本は自衛権を持っている。だから、侵略されれば、抵抗し、防ぐのは当然だ。だがそれは「先制攻撃による防衛」ではなく、あくまで日本が攻められたとき、専ら守るだけ。だから、同盟関係がある国の軍隊が攻撃されたとしても、日本への攻撃でない限り、攻撃された国を助けて戦争に加わる「集団的自衛権」の行使はしない。戦火が収まったあとの国連の平和維持部隊(PKO)には参加することもあるが、原則として海外出動はしない。そういう自衛隊は、9条が禁止している「陸海空軍その他の戦力」ではないから、憲法に違反しない。―これが、政府の憲法解釈だった。
講演で、この政府の解釈を紹介すると、必ずといっていいほど、「ではあなたは、政府解釈同様、自衛隊は合憲だというのか」という質問が出る。私は「私も自衛隊は本来違憲だと思う。しかし即時廃止と言ってもできない。それなら、まず、本当に違憲ではない程度まで縮小させるべきだと思う」と答える。憲法が人類が進むべき将来の世界を展望するものであるなら、「違憲か、合憲か」と問題にする前に、内外誰もが合憲と認めるまで縮小し、順序立てて、戦力を持たない世界をつくっていくことが大切だと思うからだ。
安倍首相の「わが軍」発言、菅長官の「正当」だとする強弁は、少し前だったら、それで国会は止まるし、首相は訂正し、平謝りしなければならないことではないか。それとも、「自衛隊は軍隊」だと認め、9条は公然と無視し、「だから改憲が必要だ」と言いたいのか。自衛隊の「国軍」化を狙う首相があげた、国民に対する意識操作でもある。
それにしても、この言葉を聞き流した国会とメディアは問題である。「しんぶん赤旗」もようやく26日の穀田会見で書いた。「ほんとのことを言ってしまったのを問題にしても…」という意識があるとすれば、国民を操ろうとする言辞を認めることになる。
9条と自衛隊について、長い間積み重ねてきた政府の解釈も一挙に崩そうとするのか、ここでも解釈変更をしようとするのか。どちらからみても許せることではない。(ジャーナリスト、元関東学院大学教授)