【連帯・社会像】

卯城公啓:2015 反核アメリカの旅 NPT再検討会議の成功めざして

 広島・長崎の被爆から70年。2015年NPT(核不拡散条約)再検討会議を好機に、人類は核兵器のない世界に続く約束の道へはっきりと歩みだせるのか。人間の良心への信頼と核国家への疑念が入り混じるまま、ニューヨーク、ワシントンを巡りました。行動し、学び、交流を重ねながら。img01

【4/26(日) ニューヨーク】

 前夜マンハッタンのホテル・ペンシルベニアに着いた私たちは、朝9時、さっそく休日のニューヨークの街角に立った。各国に「核兵器禁止条約」を結ぶ交渉の開始を求める署名行動である。

 「私たち」とは、「2015年NPT再検討会議・ニューヨーク行動 日本原水協代表団」1058人のうち、ワシントンに足を延ばす「Lコース」42人の第2班10人。私を含め国分寺原水協のメンバーが4人を占め、班長も国分寺の戸部静代さんだ。

 「はだしのゲン」を胸にあしらったTシャツを着て、ニューヨーカーに敬意を表し(?)ヤンキースの帽子をかぶる。さあ署名をよびかけよう。場所は、ホテルの真向かいに立つマディソンスクエア・ガーデンの前。幸先よく、すぐにドイツ人観光客の夫妻が応じ、にこやかに握手を求めてきた。いったん通り過ぎたが戻ってきて、署名簿の訴え文をしっかり確かめてサインした黒人男性。「こんな署名は初めて。でも大事なことですね」といってペンを走らせた、ニューヨーク駐在会社員の日本人男性…。約1時間でちょうど10人。班全体では、54人分の署名が集まった。

署名を集める戸部さん

署名を集める戸部さん

 一服して、国際共同行動デー・パレードの出発集会が開かれるユニオンスクエアへ歩く。ほぼ南へ、小一時間の道のりだ。途中で班の仲間が、小学生ぐらいの女の子を連れた日本人女性に署名してもらう。彼女は、アメリカ人と結婚しニューヨークに住んで7年。「最近の日本のニュースをきくと、こわくなる」という。もちろん、きな臭い安倍政権下の故国を想って。集会のことを教えると、彼女はあとで本当にユニオンスクエアに姿を見せた。 img03

 広場に、さまざまな肌の色の人々が集い、色とりどりの旗や幕、プラカードが揺れる。国連に近いダグ・ハマーショルド広場をめざす、ほぼ2時間のパレードの始まりだ。沿道の市民に、埼玉に住む被爆者・服部道子さんのメッセージを手渡す。「はっちゃん」こと服部道子さんとは、昨年のピースボート83回クルーズで知り合った。下船後、国分寺に2度招き、被爆体験を語ってもらった。聞き手の心を揺さぶる彼女の話の核心部を、国分寺原水協の中島啓江さんが英訳した、「A Ⅿessage from Ⅿichiko」。

 マンハッタンの街に、「No Nukes」の声が響き、うちわ太鼓の音がこだまする。ダグ・ハマーショルド広場では、日本から運んできた署名を国連に提出する集会が開かれた。アメリカの反核運動家、原水協の代表、広島の松井一實市長らに続き、国連のアンゲラ・ケイン軍縮担当上級代表、NPT会議のタウス・フェルーキ議長があいさつした。 「国連を代表し、みなさんの署名を謙虚な気持ちでお受け取りします。署名された一人ひとりの方に心から感謝します」(ケインさん)

 「これらの署名への支持をつくりあげてきた全てのみなさんの努力に敬意を表します。この偉大な世界的公共の利益のために貢献してくださって、ありがとうございました」(フェルーキさん)

この二人の女性外交官が、1カ月近い再検討会議でかなめの役割を果たすのだ。

 演壇の横に積み上げられた署名は、633万6205人分。私が届けた153人の署名も、ここにある。署名の山とともにカメラに収まる記念撮影は、押すな、押すなの順番待ちである。

 会場で、ピースボートで一緒した坂下紀子さんと再会した。2歳のとき広島で被爆した彼女は、私たちより一足先にニューヨークに来て市民に体験を語っていた。

 夜、班の仲間の風間秀子さん(荒川区在住)とともに、同じホテルに泊まっている旧知の孝岡楚田さん・弘子さん夫妻(香川県原水協)の部屋にうかがい、乾杯。長い一日が終わった。

服部道子さんのメッセージ(英文が表)

服部道子さんのメッセージ(英文が表)

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それを読む人たち

それを読む人たち

【4/27(月) ニューヨーク】

 5年に一度のNPT再検討会議が国連で始まる。核兵器禁止条約を結ぶための交渉開始に踏み切る合意ができるかどうか。5月22日まで続く会議の最大の焦点である。朝食後、前日と同じ場所で署名行動。

 NPTの会議場には原水協代表団の限られた人しか入れないが、同じ班で同室の佐竹光生さん(茨城県原水協)と国連本部に出かけた。佐竹さんは5年前にも来ていて、〝勝手知ったる国連〟である。本部ビルのロビーで、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が主催する原爆展が開かれていた。パネル50枚を展示している。4歳のとき広島で被爆した西本多美子さんの証言が始まると、厳粛な雰囲気が広がっていった。

 午後、「女性交流会」に参加していた班のみなさんと合流し、セントラルパークのそばに立つダコタハウスへ。元ビートルズのジョン・レノンが住んでいた超高級アパートだ。ジョンは1980年12月8日午後10時50分ごろ、ダコタの正面玄関で8発の銃弾を撃ち込まれ、倒れた。「平和を我等に」と歌い、「民衆に力を」と叫んだジョン。古い門構えの玄関前に、今日もひっきりなしに人が訪れ、彼の死を悼んでゆく。

国連本部の前で

国連本部の前で

 セントラルパークの一角が、ジョンの生地・英リバプールの建物の名、そしてビートルズの曲の名にちなみ「ストロベリー・フィールズ」と名付けられ、遊歩道に直径3㍍ほどのプレートが置かれている。真ん中に「IMAGINE」(イマジン)と刻まれた丸いプレート。周りを取り囲むようにして、人々がジョンをしのぶ。と、そこへ青年が一人、思いつめたような表情で現れ、「IMAGINE」の上に赤いチューリップの花を手向けていった。なにか、うれしくもあり切なくもあり、少し涙腺が緩んでしまった。img08

 公園の中を散策しながら、日本原水協が催す国際シンポジウムの会場へ向かう。シンポジウムでは、アメリカ・イギリス・日本の反核運動家、国連で活躍したブラジルとメキシコの外交官が、「核兵器は廃絶できるか」、「核廃絶の事業に果たす市民の役割は?」などをめぐって意見を交わした。自由発言で、私たちの班の磯部典子さん(静岡原水協)が壇上にあがった。被爆2世である。彼女は、被爆者を治療せず検査だけでモルモットあつかいし、そのデータも隠してきたアメリカを告発しながら、被爆体験と核大国の仕打ちを語り継ぐことの大切さを訴えた。

 終わって外へ出ると、まだ明るい。国分寺の高木裕子さん、大阪の大矢勝さんとグリニッジビレッジのジャズクラブへ行く。名門クラブのビレッジバンガードは予約客でいっぱい。近くのガラージで2組のグループの演奏を聴いた。2番手のケニー・シャンカー・カルテットは一聴して分かる実力派だ。リーダーのアルトサックスは鋭く自在、ゲストの阿部大輔さんのギターも快調。阿部さんに、国分寺原水協の橋本洋子さんがつくった折り鶴ブレスレットと服部道子さんのメッセージをプレゼントし、ジャズと反核、互いの健闘を誓い合って帰路についた。

【4/28(火) ニューヨーク】

 午前中、時間が空いている。佐竹さんとニューヨーク近代美術館(ⅯoMA)を訪れた。お目当ては「ビョーク展」である。日本にもファンが多いアイスランドの歌手ビョークは、現代美術の世界でも注目される存在だ。img09

 楽譜やコスチュームも展示しているが、映像作品が興味深い。彼女の関心の幅広さがみてとれる。DNAが複製されるありさまを映像化した作品があった。コンピューターグラフィックスで、生命の神秘と科学の知見を描こうとしたのだろう。みながら、つい思ってしまった。遺伝子が放射線に傷つけられてゆくようすは、どのような映像になるのだろう。苦しみ続けてきた被爆者の方々に対して、不遜で不謹慎な想像かもしれないけれど…。

 ⅯoMAの常設展も観て回った。印象派以降の近・現代の作品を集めているが、粒ぞろいの名作・注目作ばかりだ。マチスの「ダンス」やピカソの「ピアノレッスン」から、革命前後のロシアの前衛作品、もちろんジョーンズ、ロスコ、ウォーホルらアメリカの作家のコレクションは充実している。

 気がつけば午後3時。ⅯoMAで思わぬ時間を費やしてしまった。予定していた宗教者の反核集会への参加をあきらめざるをえない。やれやれ、私はなんのためにニューヨークまで来たのだろう。

 ホテルへ歩いて帰る途中、タイムズスクエアを上半身裸の女性たちがたむろしていた。2人1組で笑顔をふりまき、なにかのキャンペーンなのだろう。胸に絵の具を塗っているが、丸出しである。東京の渋谷のようなタイムズスクエアの広い歩道の真ん中には、アメリカ軍の事務所も立っている。閉まっているが、宣伝や兵士の勧誘の場らしい。裸の女性と軍隊。なるほど、これもニューヨークを代表する風景の一つかもしれない。

 班のみなさんと韓国レストランで夕食。ビールとビビンバで、ニューヨーク最後の夜を惜しんだ。

【4/29(水)ニューヨーク⇒ワシントン】

 アムトラックでワシントンへ行く日である。ペンシルベニア駅の待合室で、椅子に座っておしゃべりしていた高校生ぐらいの女の子たち10人ほどに、服部道子さんのメッセージと橋本洋子さんの折り鶴ブレスレットを贈った。みんな、すぐに折り鶴を腕にはめ、メッセージを真剣な表情で読み始めた。いいぞ、いいぞ。

 車中で、NPT会議の開会総会にあてた潘基文・国連事務総長のメッセージを読む。

 「私は、すべての締約国に市民社会グループとのかかわりを深めるよう促したい。彼らはNPTの規範を強め、軍縮を促進するうえで重要な役割を果たしている。…彼らから、この会議の成功と核兵器の廃絶をよびかける要請署名を受理した」「彼らの努力に、全面的な支持を誓いたい」。さらに、被爆者を「不屈の人々」とたたえ、「会議が彼らの警告に耳を傾け、結果を出す」よう求めている、と。

 私の、そして恐らく私たち一行の気持ちとぴったりだ。ここで「市民社会グループ」とは、私たち日本原水協など市民の運動をさす言葉である。

 午後ワシントン着。すぐにホワイトハウス前の署名行動である。ところが、不愉快きわまる出来事がおこった。ホワイトハウスの正門前の公園で、アメリカの反核団体との交流集会が始まってしばらくたった時である。警官がきて指図する。「今からこの一帯は立ち入り禁止。向こうの通りへ行け」。理由はなんと、「安倍首相がホワイトハウスで首脳会談中だから安全を確保する」。もちろん事前に許可を得ていたが、相手も強硬だ。仕方なく100mほど離れた通りで集会を続行し、1時間あまり署名を訴えた。私は5人分と振るわなかったが、大震災があったばかりのネパールの外交官なども応じてくれた。国分寺の清水光江さんは13人分の大健闘。

ホワイトハウス近くの署名行動を終えて(後ろの白い建物がホワイトハウス)

ホワイトハウス近くの署名行動を終えて(後ろの白い建物がホワイトハウス)

 さあ引き揚げようとしたころである。ホワイトハウスから安倍首相が乗っている車が走り去り、立ち入り禁止は解除に。いったい、なんだこれは⁉

 偶然の時間の一致にしても、割り切れない。本来なら被爆国の首相として、異国で反核を訴える日本人がいれば「ご苦労さん」の一言をかけてもおかしくないはずだ。潘基文・国連事務総長のメッセージが促す、核廃絶へ向けての「市民社会グループとのかかわり」をもっとも深めなければならないのは、被爆国・日本の政府ではないか。

 しかし、NPT会議の始まりと時を同じくして訪米した安倍首相は、米議会の演説でも「核」については一言も語らなかったのだ。「市民社会グループ」など、眼中にもないのだろう。

 ビルの谷間に街路樹のアーモンドの白い花が満開だったニューヨークから、サクラは終わりハナミズキが花期のワシントンへ。ホテルも、ニューヨークでは白黒映画に出てきそうな古風なつくりだったが、ワシントンの宿はこざっぱりしている。

【4/30(木) ワシントン】

 午前中は、スミソニアン航空宇宙博物館の別館の見学である。バスで1時間近くの郊外に立つ。広島に原爆を落としたB–29爆撃機、「エノラ・ゲイ」が展示されている場所だ。

 B29は大きい。全長30㍍あまり、全幅43㍍。小型旅客機のようだ。あの日の朝、広島上空で銀色に光った物体が、いま目の前で翼を広げている。搭乗員はすでに全員世を去ったが、機体は残る。いまも続く被爆者の苦しみとともに。複雑な気分。気持ちが整理できないまま、スペースシャトルやコンコルド機も見て回った。

 午後、ワシントンに来てここは外せない、リンカーン記念堂を訪れる。椅子にどっかと座るリンカーン像の横に、「人民の、人民による、人民のための政治」で知られるゲティスバーグ演説が刻まれている。数日前、安倍首相も来たばかりだ。予定にはなかったが、オバマ大統領が連れていったという。なんのために? 奴隷解放のためにたたかったリンカーンだから、安倍首相に日本軍性奴隷=「慰安婦」に対する態度を改めるよう促したのか。とかくアメリカでも自由・民主主義の本物度が問われる安倍首相に、民主主義を学んでほしかったのか。 img11

 しかし、オバマ大統領にもリンカーンから学び直す事柄はあるはずだ。リンカーンは、南北戦争に勝利したあと、予想もしなかった戦争の惨禍に心を痛め、国民によびかけたのだった。「わが国民のうちに、すべての諸国民との間に、正しい恒久的な平和をもたらし、これを助長するために、あらゆる努力をいたそうではないか」。しかし、アメリカは戦争中毒症の国家となり、オバマ大統領も中毒から脱していない。なにより、2009年プラハ演説の、「核兵器のない世界」をめざす努力の約束はどこへいった。

 夜、ワシントン市内の教会で、交流会が開かれた。どの宗派・宗教も受けいれる、その名も「オールソウルズ(すべての魂)教会」。被爆から間もないころに広島の子どもたちが描いてアメリカにおくった絵を、長く保管していた。近年、その絵が再発見された縁で、広島市民との友情も育んできた教会だ。 img12

 交流会では、先ごろ亡くなった被爆者の小西悟さんに黙とう。小西さんは、アメリカの反核運動との連帯を広げてきた。福岡在住の吉崎幸恵さんが、被爆体験を語る。アメリカの運動家が次々と歓迎のスピーチをのべる。日本からの一行が携えてきた贈り物を、彼らに渡す。国分寺の戸部さんも、折り鶴の輪や国分寺原水協の活動紹介をおくった。心温まる交流。〝もう一つのアメリカ〟の存在を実感し、海をこえた市民の反核交流の厚みを知り、アメリカ最後の夜をしめくくるにふさわしいひと時だった。

【5/1 ワシントン⇒東京】

 半日かけて日本へ帰る。機中でドイツの哲学者カール・ヤスパースの『われわれの戦争責任について』を読んでいて、次のような文章にぶつかった。

 「私の政治的および軍事的な行為についても、私は道徳的な責任がある。…命令された場合でも、むしろ犯罪はどこまでも犯罪であるのと同様に、いかなる行為もまた道徳的判断にどこまでも服している」

 命令された行為でも、罪は罪。戦争責任のおける道徳上の罪について論じているのだが、「命令だから仕方なかった」で済まさないきびしさは、メルケル政権が戦後70年のいまなおナチスの責任を問い、過去への反省を怠らない、ドイツの現在にも通じるだろう。超大国アメリカに媚びていれば、戦前回帰も大目にみてくれるだろう、アジアの隣国の不満もアメリカが抑えてくれるだろう、といわんばかりの安倍・甘えん坊政権とは違う。

 ヤスパースの考えは、勝手に拡大解釈させていただくと原爆投下にもあてはまるかもしれない。日本本土に上陸すれば15万から25万の米軍兵士の死傷が予想された。原爆投下は仕方なかった…。百歩ゆずってこのアメリカのいい分を理解したとしても、大勢の市民の犠牲をともなう原爆投下の罪は罪であり、許されない行為だった。

 被爆70年。核兵器の使用はどんな理由であっても罪だと確認し、70年前の広島・長崎で原子雲の下でどんな人道にもとる殺りく・破壊があったのかをどこまでも語り続け、語り継ぐ。あらためて、それが核廃絶への原点だと思う。img13

 機上から、カナダ北部、アラスカの沿岸部を眺める。青い海と空、真っ白な雪と氷の大地。いとおしくなるような、かけがえのない地球の姿である。(東京・国分寺原水協)

ユニオンスクエアにて

ユニオンスクエアにて

 

 

卯城公啓:2015 反核アメリカの旅 NPT再検討会議の成功めざして” への1件のコメント

  1. 格調高いリポート、「連帯21」にアップされたのは、よかったですね。ペーパーでいただいたのを読んだので、ぜひ多くの人に読んでほしいと思いました。NPT再検討会議は、最終文書も採択されずに閉幕。核保有5か国は、被爆者と心ある日本国民、オーストリアの「人道の誓約」に賛同をよせた国々はじめ核兵器廃絶を願う世界の良識に応えなかったが、この流れを押しとどめることはできないと確信する。

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