辺野古新基地建設阻止、沖縄・福島の人々の共同をめざして、「沖縄・福島連帯する郡山の会」を4月に立ち上げました。私を含むさまざまな立場の人たち10人が共同代表になり、佐藤栄佐久元福島県知事や植田英一元自民党福島県連幹事長ら保守の重鎮が相談役を務める、「オール福島」の市民組織です。
予想していた以上に反響が大きくて、私たちがびっくりするほどです。沖縄の琉球新報も沖縄タイムスも「会」の発足を大きく報道してくれました。朝日新聞や毎日新聞も取り上げてくれたし、しんぶん赤旗も書いてくれました。沖縄と福島の連帯に、市民・県民が強い関心を持っていると感じます。
16日の設立記念講演会も、おかげさまで大盛況でした。宣伝があまり行き届かなかったにもかかわらず、大槻ふれあいセンターに330人もの人がきて、耳を傾けてくれました。椅子を増設するほどでした。
目玉の講演は琉球新報の松元剛・報道本部長にお願いしました。「命の二重基準と民主主義-戦後70年 基地の島・沖縄から-」と題する内容です。沖縄では、講演会の前日の5月15日は沖縄が日本に復帰して43年、平和行進が始まる日でした。翌日の17日は辺野古新基地建設に反対する沖縄県民大会が予定されていました。過密な日程なのに、松本さんは「福島から声をかけられたら、何があっても行きます」と応じてくれたのです。これぞ、「連帯の心」だと感謝しています。
参加者には感想文を書いてもらいました。多くの人に共通していたのは、次のような感想です。
──沖縄のことをよく知らなかったけれど、民意を無視されている沖縄の苦しさがわかった気がする。福島だって、県民が原発の再稼働はとんでもないといっているのに、安倍政権は聞く耳を持たない。
また、こんな感想もありました。
──沖縄の赤ちゃんの最初の言葉が「怖い」だなんて。沖縄が米軍の犠牲になっていることに自分の心が動かされました。
私は沖縄に友だちがたくさんいます。2011年3月11日に、東京電力福島第1原発の事故が起きたとき、彼らからメールがきました。「差別され、分断され、見捨てられる第2の沖縄にならないように」と。福島の現状をみるにつけ、思い出す言葉です。
今年1月、沖縄・辺野古に行き、新基地建設を監視し、抗議活動をする船、「平和丸」に乗って大浦湾の現場をみてきました。そして、辺野古の人たちの話をきいて、安倍政権の辺野古新基地建設強行は、ファッショ的蛮行以外のなにものでもないとの思いを強くしました。名護市長選挙や沖縄県知事選挙の結果こそ、沖縄県民の意志です。それを踏みにじる政治に、民主主義があるとは思えません。安倍政権と闘う不屈の「オール沖縄」から福島のわれわれが学ぶことはたくさんあります。
郡山にも、原発事故の放射能汚染で全村避難を強いられた川内村や富岡町、双葉町の人たちの仮設住宅や借り上げ住宅があります。川内村は、まだ放射能への不安も強くインフラも不十分ななかで避難が解除され、村民は一方的に賠償を打ち切られました。しかし、息子夫婦や孫が帰らない村にだれが戻りますか。戻りたくても戻れずに、仮設住宅で生活している高齢者は少なくありません。月4~5万円の国民年金でまともな生活ができるはずもなく、過酷な生活を強いられています。しかも、来年3月末にはこの仮説住宅からの退去が迫られようとしています。
福島県での東日本大震災の地震や津波による直接死は1612人ですが、原発事故による避難途中や避難生活での体調悪化や孤独死、自殺などによる関連死は現在1880人を超え直接死を大きく上回っています。関連死が直接死を上回っているのは福島県だけです。この関連死のなかには自殺者の数も含まれています。しかし、身内に自殺者があったということになれば子や孫の代に影響することを考え事故死や病死にする場合が多く実際の震災関連死の数は、発表されている数よりはるかに多いと言われています。原発事故の犠牲者のこうした実態はマスコミに報じられることはほとんどありません。
私は沖縄で福島の原発被害の実態を話してきました。新基地建設の埋め立て費用だけで2300億円かかるそうですが、辺野古の人は「2300億円は福島の人のためにつかえばいい」といってくれました。米軍基地のせいで、命や暮らしが脅かされているという沖縄の人たちの訴えは痛切です。
沖縄も福島も、強大な権力に犠牲を強要され、民意を踏みつぶされているという構造は共通していると思います。福島と沖縄の人たちが対話し、共同しなければほかのだれがやるでしょうか。そんな思いが「会」の発足になりました。「オール沖縄」に比べれば、「オール福島」はまだ小さい。でも、共同を作り出していくことが現状を変え、社会を変える力になるのだと思います。 (「沖縄・福島連帯する郡山の会」共同代表)
昨日までの沖縄連帯の3日間、とても有意義でした。感想文書きますが、感謝の気持ちを早速お伝えしたいと思いました。
お身体大丈夫ですか? どうぞ、ご自愛くださいませ。
フェイスブックをまだ、上手く立ち上げられませんが、皆さんのお仲間になりたいと思っております。おきなわの方がた、福島県の方がた、素晴らしい出会いでした。