東京電力福島第1原発事故から4年3カ月が過ぎた。いまも汚染水は垂れ流し、原発事故の原因究明さえままならぬ状態が続いている。被害者の生活は根こそぎ壊された。福島県全体で、いまも避難を続けている人々が11万4000人。全村避難の飯舘村は6700人が避難中だ。その飯舘村の人々が最近、驚いたことが2つあったという。
最初は地元紙の福島民報4月21付けの報道だ。1面トップに「飯舘村 29年春までに避難解除」の見出しが踊っていた。飯舘村が、帰還困難区域の長泥行政区を除く全域の避難指示解除を「遅くとも平成29年春」とする方向で検討しているという内容。記事中には菅野典雄村長のコメントがあり、「村民の心身は避難生活に耐えられる限界に近づいている。帰還目標を決めることは、住民の希望につながる」と語っている。
2つ目は、その1カ月後、5月に相次いだ自民党の東日本大震災復興加速化本部の提言に関する報道だ。東京電力福島第一原発事故に伴う避難指示解除準備区域と居住制限区域の避難指示を平成29年(2017年)3月までに解除。東電の賠償の支払い時期を平成30年3月までとするとの内容だ。「村長が自民党案を先取りしている」という村民もいた。
自民党案は、自民・公明両党の共同の提言となり、6月12日、福島復興加速化指針(改訂版)に盛り込まれた。避難している被害者の帰還を急がせ、慰謝料の支払いを打ち切りたい安倍政権の方針となったのだ。
飯舘村から避難した人々が暮らす松川第1仮設住宅の集会所で5月下旬、聞いた。
新谷正代さん(60)は、帰村宣言が出されたら、飯舘村の自宅に戻るつもりだと話す。「ばあちゃんが生きている間は、家に帰ろうと旦那と話をしているんです」。夫の母は、87歳。余生は故郷の飯舘村で過ごさせてやりたいが、1人では生活できない。夫婦2人だけなら、帰村しない選択肢もあったという。
正代さんも、飯舘村への思いは強い。仮設住宅の遠足で白河市に行き、田を目にして飯舘村の田植えのことなどを思い出した。「『田んぼに入りたいな』って、遠足に行ったみんなが言っていたね」と正代さんは話す。しかし現実は、飯舘村の放射線量は高い。「帰っても野菜をつくることはできないし、家にいるだけになるでしょうね」
集会所の壁には、全国のさまざまな人たちから寄せられた激励の言葉や写真などが飾られている。ひときわ目立つのは「チバリヨー(がんばれ)福島」と書かれた檄文だ。沖縄県糸満市立西崎小学校合唱部の生徒たちが福島市で開催された声楽全国大会に参加した際、ここを訪れ、村民と交流したときのものだ。
集会所を出ると、ベンチで6人の男たちが談笑していた。帰村宣言について聞いてみた。
──生活を考えると、近くに買い物ができる店と病院、インフラの整備が必要だ。
──帰るにしても、家を修理するか立て直すかしないと帰れない。
──水は飲めるのか。避難解除のときの放射線量はどうなっているのか。帰れる環境をつくってから解除してほしい。
──避難生活が長引くと帰る人がいなくなるから帰村宣言をする。しかし、それでは困る。
──何を目的に帰村するというのか。村民は無視されている。
──村を捨てるわけじゃないけど、このままでは戻れない。
──貧しくても食べていけたのは、農業をやっていたから。これからどうやって生活するのか。
──村役場は「道の駅」をつくるというけど、そこで売る野菜はどこから持ってくるの。
──飯舘村は100年たっても元には戻らない。この村を、田畑を何十年もかけて開墾してやってきたのが、だめになった。
──飯舘の土を、東京さ行って置いてくるか。
1年半前に帰村宣言をした川内村の放射能汚染度は「飯舘村の10分の1」だが、それでも帰村者はわずかだと口をそろえる。みな、いまの状態では帰村するつもりはない、との考えだった。
飯舘村のアンケート結果でも、避難指示解除後すぐに帰村したいと答えた世帯は回答の9%にしかすぎない。半数以上の世帯が回答していないことを加味すると、パーセンテージはもっと下がる、と見られている。
帰村を希望する人々の事情は様々だが、多くは”弱い立場”の人々だといわれる。狭い仮設住宅で、あるいは借り上げ住宅で、高齢者はなれない生活を送っている。ストレスや運動不足などで、健康被害が発生している。困窮し、他に行くあてがない高齢者は、「村に帰して」というしかない。
とくに経済的弱者は村に帰るしかないという。わずかな国民年金に頼らざるを得ない人、生活保護を受けなければならない人、仕事がない人・・・。「飯舘の人間はいつまでここにいるんだ」、「いつまで賠償金をもらっているんだ」という嫌がらせはいまも絶えない。
村の外に家を構え、新しい生活を始める村民もいる。仮設住宅にも少し、空きが出るようになった。しかし、「賠償金を貰ったからといって、福島市に土地を買い、家を建てることができる村民はごくわずかしかいない」(飯舘村職員)。放射線量を気にしながらも、他に行き場がないという悲惨な現実から、目を背けるわけにはいかない。
政府・自民党の避難区域解除、賠償打ち切り方針は、東京電力福島第1原発事故の被害者の人生を考えたうえでのものなのか。復興とは、せめて1人1人の生活再建があってのことではないのか。
松川第1仮設住宅の木幡一郎自治会長はこう話す。「われわれが望むのはきちんと除染をやって、1日も早く村をきれいにしてほしいということだ。それに関係なく国は避難地域を解除し、村も国に準じてやるというだけだから、困っている」
「放射能の高い村に、若い者は帰らない。年寄りだけ帰っても村の活性化、将来はないんです。帰村してもみんなとの接触はなくなり、孤独な生活になることは目に見えている。年寄りが耕運機を動かそうとして下敷きになって死んだ例もある。せめて年寄りが集まって生活できるように、集合住宅をつくってほしいと要望しているんだが・・・。村には一般的なビジョンはあっても、具体論がない」
木幡会長には忘れることができない出来事がある。昨年5月、安倍首相が菅野村長を伴って松川第1仮設住宅を訪問した時のことだ。集会所の外のベンチで首相と隣り合わせに座った木幡会長は「精神的苦痛はどうやったら解除できるんですか」と、安倍首相に問いかけた。だが、首相は無言を通した。木幡会長は「励ましの1言がほしかった」というのに。
安倍政権の福島復興政策の本質がくっきりとあらわれた場面だった。