【連帯・社会像】

小島修& 田邊順一:今、自分にできること

思い立って、8・30に参加しようと、前夜午後10時ころメールを出した。夕方、シニアクラブの会員を誘ったが、「人ごみ、騒音は苦手」というので遠慮した。私は今、足が不自由なので、できればサポート役の女性をと、地元の9条の会でメールが通じる二人に送信した。〈画像をクリックすると大きくなります〉

すると翌朝、二人から返事があった。Nさんは時間がとれるからOKという。それを知ってIさんは「よかったね」と。

小田急のホームで待ち合わせ、日比谷公園へむかった。実は市民団体「連帯・共同21」の友人から参加・写真撮影を頼まれていて、JCJ(日本ジャーナリスト会議)の保坂氏に集合場所をメールで尋ねていて、その噴水のあたりにJCJの旧友田邊順一氏を誘っていた。彼は最近まで足の病気だったが回復しそうなので一緒に行きましょうと言ってくれた。カーネギーホールにも無理を言って同行してくれた友である。

幸い、西幸町交差点近くで、JCJの河野氏に会えた。なんと桂敬一先生(元東大新聞研)も軽装でお出ましになっている。田邊さんにも会えた。元気そうで安心する。事務局をやってくれていた前土肥さんの顔もほんとに久しぶりだ、JCJののぼり旗を持って。

阿部前事務局長も現れたし、今代表委員の中村梧郎さんもかけつけてきて、私にとっては4年前の脳梗塞以来の同窓会みたいなもので、うれしくなる。目前の宣伝カーの上には次々と元気はつらつの面々が上がって、「戦争法案即時廃案」を叫ぶ。沖縄のおじさんが一段と元気だったが、「沖縄を返せ」の歌で「民族の怒りに燃える島」を「県民の怒りに燃える島」と歌ってくださいと訴えたのが「今風」で気にいった。ほかに、ママさんの会とか、これまでにない女性の新しい顔ぶれが目立つ。JCJメンバーら高齢者は相変わらず多い。

私も地元「戦争法案阻止実行委員会」の呼びかけ人の一人として数回、駅頭に立ったが、全国規模の行動は病気直前の反原発集会以来である。

足は思うように動かないが、「今自分にできることは」と例年は暑さでお休みの8月月例会を開き、「戦後70年、あのとき私は」と戦争体験を語り合った。

なんと老人クラブの長老に2人も元特攻隊員がいて、「終戦が2日遅れたら私の命はなかった」「人間魚雷『回天』の特攻隊員として終戦後約半年も高野山にこもって出撃訓練をしていた」と秘話が語られた。区の老人クラブ理事会で初めて個人的お願いとして親友丸山重威氏の緊急出版『安倍壊憲クーデターとメディァ支配』の紹介・宣伝をさせてもらった。ささやかながら「できること」を積み上げていきたい。〈小島修(日本ジャーナリスト会議会員)〉

〈撮影:田邊順一〉

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