【連帯・社会像】

星英雄:普通の人々が動かす新たな政治のステージへ

 安倍首相にとって当初は予想だにしなかったに違いない。安倍政権と戦争法案に反対する抗議行動がこれほどまでに高まるとは。戦争法案が参院本会議で強行可決、成立するその最後まで、人々の抗議行動が安倍政権と賛成議員らを包囲し、「選挙に行こう」の声が響き渡った。

 怒りの声が終日国会を取り巻いた。IMG_8742

 「戦争法案絶対反対」「強行採決絶対反対」

 「安倍はヤメロ」「賛成議員は選挙で落とせ」IMG_8748

   戦後日本の民主主義や平和の営みを掘り崩す安保法案(戦争法案)や安倍政権のやり方に反対して、既存の労組や平和団体などではない、学生の「SEALDs」や「安全保障関連法案に反対するママの会」、「安全保障関連法案に反対する学者の会」などこれまでにない集団が誕生した。そして、これらにさえ属さない若者、女性、さまざまな人々が自己の意志にしたがって行動した。むろん、「9条の会」や労組等も、大きな役割を担った。IMG_8786

 こうした人々によって、国会周辺だけでなく、北は北海道から南は沖縄まで。都市部だけでなく小さな村でも。まさに全国津々浦々で安倍政権と戦争法案に反対する行動が沸き起こったのだ。

 戦争法案が憲法違反であることは多くの国民の共通認識となった。元最高裁判事、元内閣法制局長官、憲法学者、弁護士等々専門家の圧倒的多数が憲法違反だと断定した。この法案の問題点を、憲法学者の長谷部恭男氏はこう指摘している。「一連の安保関連法案は、その核心的な部分、つまり集団的自衛権の行使を容認する点において明白に違憲の瑕疵を帯びる上、その他にも数多くの重大な欠陥を含んでおり、しかも、日本の安全保障にとってはむしろ有害であって、廃案とされるべきものである」(有斐閣『検証・安保法案』)。IMG_8845

 政府が説明すればするほど、国民が知れば知るほど、法案に反対する声が広がっていった。朝日新聞の今月の世論調査では、安保関連法案(戦争法案)に「賛成」は29%、「反対」は54%。この国会で成立させる必要が「ある」は20%、「ない」は68%。国会での議論は「尽くされた」11%、「尽くされていない」は75%だった。どのメディアの世論調査も同様の傾向を示している。

 ところが安倍首相は「法案が成立し、時が経ていく中で間違いなく理解は広がっていく」とうそぶいた。安倍首相にとって、自分に同調しない国民の声はどうでもよい存在として扱われた。

 歴代自民党内閣でさえ、憲法9条の下で許されるのは個別的自衛権の行使だけとしてきた憲法解釈を閣議決定で変え、他国防衛のための集団的自衛権は行使できるとした。国会の論戦で、首相が集団的自衛権行使の例にあげた「中東・ホルムズ海峡の機雷除去」も「邦人救出」のケースも、政府自らが否定せざるを得なかった。それでも、戦争法案を強行した。

 答弁に窮すれば、政府の「総合的判断」に任せろと安倍首相はいい張ってきた。しかし、海外で武力行使をするという、日本の針路と国民の命運を、これほどまでにでたらめな安倍首相にゆだねるわけにいかないことは当然ではないか。

 安倍首相のいう「戦後レジームからの脱却」とは、アメリカに従属する「戦後レジームの継続」であることもはっきりした。

 国民は「安倍政治」を、憲法が政治権力を縛る立憲主義を否定するクーデターといい、独裁政治と批判した。選挙で多数を握れば、国のあり方を規定する憲法を否定しようが何をしようがおれの勝手だという振る舞いを、これ以上続けさせるわけにはいかないという思いが人々を動かしたのだ。IMG_8802

 戦争法案が強行されたとき、国会前には「選挙にいくぞ」のコールが響いた。来年の参院選(衆院総選挙)は、憲法を争点にして、「安倍政治」をひっくり返したい。

 「安倍政治」は国民に主権者としての自覚をいっそう促したと思う。筆者は2年前(2013年5月)に「あらがい闘う普通の人々が社会を変える」と、当サイトに書いた。東京電力福島第1原発事故を契機に、脱原発の動きが全国津々浦々にひろがった。それに触発されるように、さまざまな分野で政府・行政に異議申し立てをする人たちがいた。どれも、普通の人々、個人とその集まりだった。個人の意志を臆することなく行動に移す様をみて、その広がりをみて、国民が主権者として行動しはじめたことを感じ、民主主義の発展を予感した。

 戦争法案に反対する人々の行動は、カウンターデモクラシー、選挙による代議制を補完する新たな民主主義と評価された。が、そこにとどまらない可能性があると思う。沖縄では、辺野古新基地建設に反対する米軍キャンプ・シュワブ前の座り込みが広がって、県民の意志となり、翁長知事を誕生させ、県政を動かす先例が生まれている。

 戦争法案に反対する国会前・全国の人々の行動も、「あらがい闘う普通の人々」が国政を動かす時代に入りつつあることを教えてくれているように思う。

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