【福島・沖縄からの通信】

伊波洋一:沖縄自身が沖縄の未来を切り開く、新しい沖縄が動き出した〈2015沖縄レポート③〉

〈辺野古新基地建設反対の「オール沖縄」にとって、負けられない選挙戦がつづく。来年1月の宜野湾市長選挙、その後の県議選、そして参院選へ。元宜野湾市長として、「オール沖縄」の参院選予定候補としてきわめて多忙な伊波洋一さんに、辺野古新基地建設反対闘争の意義についてきいた。文責・星英雄〉

 翁長知事が辺野古の埋め立て承認を取り消したことは極めて大きな意義を持っています。県民の総意として埋め立て承認を取り消したことは、新しい沖縄のスタートだと思います。

 1つは、戦後70年という歴史の節目に、沖縄が抱える幾つもの問題の解決策の転換点となる大きな出来事だと、私は理解しています。沖縄の問題の解決方法について、自民党は「日本政府にお願いすることが解決策だ」とずっと言い続けてきましたが、翁長沖縄県政はそこから根本的に転換しました。  大田県政と同様に、私は宜野湾市長として訪米し、普天間飛行場の解決をアメリカに強く働きかけてきました。しかし、アメリカ政府はいつも「日本の国内問題だから日本政府にいうべきだ」という対応でした。

 その日本政府が沖縄に基地を押し付けてくるのです。沖縄はまだ発展途上だから、カネや恩恵を与えれば、何事もまかり通るというのが政府の考えです。沖縄は、政府に憐れみを請い、施しを貰うような構図を強いられ、その中で解決を迫られてきました。そして振興策で決着させられてきたのです。

 その頂点とも言えるのが仲井真前知事の辺野古埋め立て承認です。直前に安倍首相から振興策を示され、「これでいい正月が迎えられる」とまで言ってのけたことは、まだ記憶に新しい。

 振興策と引き掛えは、問題の解決ではなく問題を隠ぺいするやり方です。この仲井真知事の辺野古埋め立て承認に対して、県民の怒りが大きかったのは当然です。この怒りが、名護市長選、県知事選、衆院選の圧倒的勝利に行きつきました。

伊波洋一さん(宜野湾市の事務所で)

伊波洋一さん(宜野湾市の事務所で)

 県民の辺野古新基地建設反対、辺野古の埋め立て反対の意志はきわめて強く、シュワブゲート前の座り込み抗議行動、辺野古の海と大浦湾での海上抗議行動は1年以上も続いています。辺野古新基地建設を許さない島ぐるみ会議が結成され、辺野古ゲート前で3600人、辺野古浜で5500人の集会を持ち、県民の意志を強烈にアピールしてきました。

 翁長さんは、県民の願いである辺野古新基地建設をあらゆる手段で止めるという公約をして、知事に当選しました。しかし、すぐに着手するにはむつかしい問題もあっただろうと思います。現場の工事は進行し、一部に疑心暗鬼が生じたりもしました。

 翁長知事は、第三者委員会に仲井真知事の埋め立て承認の検証を求めました。第三者委員会は、2015年1月26日に発足し、13回の審議を経て、同年7月16日、「仲井眞前知事の辺野古埋立承認には法的瑕疵がある」との報告書を翁長知事に提出しました。第三者委員会は、「公有水面埋立法」の第4条1項の承認の要件とされる6項目の内で辺野古埋め立てに関係する1号、2号、3号のすべてで瑕疵があるとしました。さらに「埋め立ての必要性」についても瑕疵があると結論付けました。

 翁長知事は、県の辺野古埋め立て承認取り消しの作業も中断して、政府に8月10日から9月9日までの1ヵ月間、辺野古工事を停止させ、5回の集中協議を行いました。知事としてあらゆる手段をつくす取り組みの一つでした。結局、安倍政権は沖縄の訴えを聞こうとせず、集中協議は決裂しました。政府が辺野古埋め立て工事の続行を通告したため、翁長知事は10月13日に辺野古の埋め立て承認を取り消しました。

 沖縄でのもう1つの新しい動きは、自己決定権への県民の自覚が一段と高まったことです。沖縄自身が、沖縄の未来をきりひらいていく。そういう県民の思いが翁長知事をして、埋め立て承認の取り消しを行わせたのだと思います。

 沖縄県民が自らの意志として、日米両政府による辺野古新基地建設を拒否する権利、自己決定権があることは、国連憲章や、世界人権宣言、国際人権規約に明らかです。

 こうして戦後70年の節目の年の10月13日は、沖縄が沖縄として歩き出す、きわめて重要な日になったといえるでしょう。これから待ち構えている困難はたくさんあると思いますが、辺野古埋め立て承認を取り消したこと自体に、きわめて大きな意義があると思います。新しい沖縄はすでに歩き出しているのです。

 翁長知事の埋め立て承認取り消し、辺野古新基地建設に反対する沖縄の立場に理があることは、明らかです。人権などさまざまな観点から見て、国内・国際的な支援と共感を得ることができる内容です。正義は沖縄の側にあり、それが沖縄の力です。

 ことしは1995年の少女暴行事件から20年になります。事件発生の少し前、1972年の日本復帰から20年を迎えた92年のころから、沖縄県民の中には澱みのようなモヤモヤした思いがありました。日本に復帰したけれど、基地の問題は何も変わっていないという県民の複雑な思いです。復帰後20年、政府は沖縄に対して何もしないできたからです。そして、1995年9月、3人の米海兵隊員による少女暴行事件が起こり、県民の怒りが爆発しました。

 県民の怒りは、アメリカに在沖米軍基地を失う危機感を抱かせました。それが、沖縄における日米政府による初めての基地負担軽減措置としてのSACO合意となりました。その最大の目玉は普天間飛行場の返還でしたが、代替施設の建設という条件が付きました。結局、その事が問題の解決を遅らせているのです。

 いまは、95年の怒りを上回る県民の強く大きな意志が働いていると思います。95年の時は、SACO合意の中で日米両政府が普天間問題に取り組むことに納得するところが、県民の中にあったと思います。まだ、お願いする立場だったのです。しかし今回は、私たち沖縄県民が沖縄のありようを決めるという立場に立っています。この違いは大きいです。

 この県民の怒りと強い意志を反映する行政的対応として、翁長知事の埋め立て承認取り消しがあるのです。

 アメリカは普天間飛行場の問題を日本の国内問題に押し込んでいるから、自分たちの問題ではないと逃げています。しかしそれでも、沖縄の怒りは、日本政府には通じていないが、アメリカには通じているフシがあります。

 最近の米国議会調査局報告書は、「辺野古の埋め立ては、県民の反発が極めて大きい、名護は反対する市長、知事も反対だ。すべての衆院選挙区では反対する全員が当選した」と、新基地建設に反対する沖縄の情勢を取り上げています。さらに、「普天間飛行場の移設をめぐる東京と沖縄の政治的論争は、今年後半に新たな段階に移行しつつある」とか、埋め立て承認の取り消しは「激しい政治闘争の局面につながる可能性がある」と指摘しています。

 アメリカのマイケル・アマコスト元駐日大使も同じような認識を持っています。6月23日の朝日新聞によれば、「沖縄における反対運動は広範で、選挙区から選ばれた国会議員と知事、名護市長の全員が反対している。これほど高い政治的コストに比べて、海兵隊基地の戦略的な価値はどれほどあるのでしょうか」と言っています。つまり、海兵隊を沖縄から撤退させてはどうかと言っているのです。

 沖縄の動きは、アメリカにはダイナミックにみえていると思います。残念ながら安倍政権はまだそれを感じ切れていないようです。

 日米両政府が押し付ける辺野古新基地を、沖縄県民の意志としてはね返していくことは本当にできるのか。いったん承認した埋め立てを、ひっくり返すことができるのか。相手は圧倒的権力を持っている日米両政府だ、という懸念も一部にあるかもしれません。  一方、約8割の沖縄県民は、翁長県政が「あらゆる手段を使って工事を阻止する」ことを支持しています。非暴力の抵抗を通して、民主主義を実現しようとする沖縄県民の闘いには、「道理」があり、軍事大国アメリカによる沖縄における恒久的な「不正義」の横暴を許さない民衆の力があると思います。

 私はあとで振り返る時、今年10月13日が沖縄の自己決定権の記念碑的な折り返し地点となる可能性は大きいと思います。沖縄の新聞の世論調査では、約80%が翁長知事の承認取り消しを支持しています。差別され、蹂躙されてきた沖縄が、自らの意思で辺野古新基地建設をはねのけていく。それは、沖縄の自己決定権確立の金字塔になると思います。

伊波洋一:沖縄自身が沖縄の未来を切り開く、新しい沖縄が動き出した〈2015沖縄レポート③〉” への1件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)