【福島・沖縄からの通信】

今野秀則:願いは、ふるさとを取り戻すこと

私のふるさと・津島は、福島県双葉郡浪江町の北西部、阿武隈の中山間地にある、約450世帯・1400人ほどの地域です。豊かな自然の中で、先代から受け継いだ歴史、伝統、文化、民俗、伝承芸能、墳墓などを大切に守り、住民同士の強い絆の下に、互いに交流し、助け合って生活してきました。春夏秋冬、一年を通じて、長い歴史の中で育まれた年中行事や地域の多彩な催しを共にし、住民同士の絆を築き、喜怒哀楽を分かち合って穏やかに暮らしていたのです。 

津島は、決して経済的に恵まれている地域とは言えませんが、地域社会の中で日々平穏に生活することが、住民にとって生き甲斐であり、楽しみ、喜びであったのです。また、先人が営々として築き私たちに託したものを受け継ぎ、さらに住み良い地域にして、それを将来世代につなげていくという、いわば大きな時間・歴史の流れの中に、身を置く生活でもあったのです。 

 地域での生活・日常の例を挙げれば,住民は毎日のように近所同士で家を行き来して,お茶飲み話をしたり,山菜や畑で採れた野菜を分け合ったりしていました。お茶飲み話の話題は,他愛のない話から相談事まで,いろいろです。互いにやりとりする山菜や野菜は,自分で買うことなど殆どありません。都会の人にはピンと来ないでしょうが,あげるうれしさ,もらううれしさがあるのです。そういう近所同士の行き来が,地域内の日常でした。 

下津島地区の盆踊り。原発事故の前年、2010年8月14日。

下津島地区の盆踊り。原発事故の前年、2010年8月14日。

 

また、地区挙げての運動会は、津島地区内にある部落(行政区)ごとの対抗戦で,ものすごく盛り上がります。住民はそれぞれに部落の旗を振ったり,太鼓を叩いたり,大声で応援します。競技中に発表される中間得点に一喜一憂し,優勝したとなると,部落全員で喜び合うのです。終了後は,料理や酒を持ち寄って集会所で打ち上げをやり、わいわいと大いに盛り上がるのです。 

他にも例を挙げれば,地区内4つ部落には約400年の歴史を有する神楽や田植踊りの芸能が伝承されています。田植踊りは,県の重要無形民俗文化財とされる貴重なものです。長い歴史の中で部落毎に少しずつ違いが生じていますが,それぞれの部落の年寄りは,「どの部落より,『おらほ』(自分の部落)が一番かっこいい」と,常々話していました。それほど自分たちの部落への愛着と誇りがあるのです。その踊りも,地域住民が県内外にバラバラに避難している現状では,練習すらままならず、保存継承は困難です。 

このような何気ない、しかし、私たちにとっては大切な地域の生活は、原発事故による極めて高い放射能汚染に曝されたため帰還困難区域とされ、理不尽にも平穏な生活を突然断ち切られ、慣れ親しんだ生活空間から切り離されて、異郷の地で避難生活を強いられる苦痛は、言葉には言い表せません。地域の人々は文字通り県内外に離散し、親戚、友人との普段の交流もままならない状況にあります。人生を奪われ、生き甲斐を失う事態と言っても過言ではありません。喪失感、空虚感、仮の生活を強いられる漂流感は、耐え難いほど辛いものです。 

先人が努力して築き、それを受け継いだ私たちが未来に手渡していく時間の流れ、地域の伝統や歴史が、突然断たれてしまったのです。その場に凍り付いたように、避難した当時のまま無人の状態で佇んでいるのならまだしも、無慈悲にも時は地域内のありとあらゆるものに劣化と荒廃を刻みます。家屋は廃れ、田畑は林、森に変貌し、イノシシなど野生の動物が家の内外を荒らし回っています。 

つい先日は、猿やイノシシの大集団に遭遇しました。道端で寛ぐ猿やイノシシの方が自然で、むしろ私達の方が場違いな存在でないかと思うほどです。一時帰宅する度に、本当に虚しく、悲しくなります。しかも、単に有形のものが崩れ去るだけではなく、紡ぎ挙げた人々の絆や民俗、郷土芸能などの無形の、地域住民の心の拠り所、精神的な中核をなす掛け替えのないものが、このままでは綻び、いずれ消え去ってしまうのです。 

このようなことが、許されていいのでしょうか。まっとうに生きてきた人々の生活が、団欒が、歴史が、地域ごとまるで拭い去られるように掻き消されてしまっていいのでしょうか。否、断じて許してはなりません。有り得ないこの光景を生み出した、国及び東電の責任をしっかり追及しなければなりません。 

東日本大震災・原発事故後満5年となりますが、帰還困難区域である津島地区は未だに今後の明確な方針が示されず、謂わば、放置されたままになっています。国は、森林除染について曖昧な態度に終始しています。地域の声に押されたのでしょうが、つい先日国は、今年の夏までに帰還困難区域の指定を見直し、また、里山を中心とした除染を行う考えを示しましたが、果たしてどこまで踏み込んで行うのか、これまでの及び腰の姿勢を思うと疑問なしとしません。 

山林が8割を超える津島地区で森林除染をしないということは、地域住民に戻るなと言うに等しいことなのです。ふるさとは、唯一無二のかけがえのないものであり、代替えは出来ません。 

原発事故は、文字通り地域社会を地図から拭い去ってしまいます。人間は放射能を制禦する技術を持ちません。原発と人間社会は共存できないのです。現在も、決して「アンダーコントロール」状態にはありません。制禦できないものが一度事故を起こせば、如何に悲惨な事態になるか、その過酷な現実を私達は担い続けさせられているのです。 

原発は電気を製造する一手段に過ぎません。それが、人々が生活する基本的な権利、生存権や幸福追求権、居住権などの人権に優先するはずはありません。今後どうすればよいか、答えは自ずと明らかなはずです。原発事故が再び起こらない保障は何処にもないのです。吉田調書に依れば、東日本壊滅を覚悟したとあります。そのような事態を再び引き起こしてはなりません。 

原発事故前の2010年8月10日、下津島地区集会場で若者と歓談する今野さん(右端)

原発事故前の2010年8月10日、下津島地区集会場で若者と歓談する今野さん(右端)

 

この未曽有の事態を引き起こした原発事故の責任を問い、被害回復を求めるため、また、二度と再び同様のことを起こさせないため、私たちは原告団(224世帯・663名 1/27現在)を結成し提訴に踏み切りました。昨年9月29日に提訴(第1次 原告32世帯・116人)し、年が改まった1月14日に第2次の提訴(38世帯・126人)を行い、今後も、年度内に数次の提訴を重ね、全ての原告が訴訟に参加する予定です。 

豊かな国土に国民が根付いて生活することこそが国の富のはずです。国、東電の責任を問い、そして何よりもふるさとの原状回復=被害回復置を求めることは、私たち地域住民の、人間としての尊厳を回復することです。まさに、私たちはその根源を問う訴訟に臨むことになるのだと思います。 

他の人達に、私達のような悲痛な思い、悲惨な生活を味わって欲しくありません。原発事故の過酷な実情を真摯に見つめ、同様の事態を再び引き起こさないよう、心から願わずにはいられません。その意味で、この度の大津地裁による関電高浜原発3、4号機運転差し止めの仮処分決定は、本当に嬉しく思います。この動きを加速し、原発に頼らない社会を一刻も早く築きあげたいものです。(「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」原告団長)

今野秀則:願いは、ふるさとを取り戻すこと” への1件のコメント

  1. 3.11 ある被災地の記録
    を拝読いたしました。
    三瓶宝次さまより津島の記録をまとめたいとの要望にて
    DASH村盛衰記という本を書いておりますが、
    津島の開拓農家を中心に、採録して編纂しています。
    いろいろとご教示願います。

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