【福島・沖縄からの通信】

早川篤雄:避難指示解除は被災地・被災者の切り捨て宣告だ

 福島県楢葉町は大部分が福島第1原発から20キロ圏にある。原発事故の翌日、2011年3月12日にほとんどすべての住民が避難を余儀なくされたが、政府は昨年9月、避難指示を解除した。しかし、住民の9割以上は帰町していないという。同町・宝鏡寺の早川篤雄住職(76)に聞きました。〈文責・星英雄〉

DSC楢葉町00285 昨年(2015年)9月に、楢葉町に対する避難指示が解除されました。しかし、町の発表では今年2月14日現在、人口7363人中戻った人は440人、6%です。そのうち、40代までは49人、町民のたった0.7%しかいないのです。 

 戻っているのは車を運転できる高齢者、子育て世帯は戻っていません。除染の汚染土壌が詰まったフレコンバッグがいたるところに、大量に野積みされています。日中は工事車両が往来し、人の動きも目立ちますが、夜は町全体が暗く、まるで死の町のようです。

 楢葉町は避難指示地域の12市町村のなかでは比較的放射線量の低い地域ですが、これが否定できない現実です。

 住民はなぜ戻らないか。復興庁・福島県・楢葉町が町民に対して実施した調査でも明らかですが、原子力発電所の安全性や放射線量などへの不安が大きな要因です。

 オール福島は、東京電力福島第1原発だけでなく、第2原発も廃炉にすることを要求しています。福島は原発に頼らない復興を前提としています。ところが国は、原発を廃炉にするしないは企業の判断だといい、東電は国のエネルギー政策次第だといいつづけています。お互いにぐるになって再稼働をたくらんでいる。住民が不安に思うのは当然ではないでしょうか。

 避難指示解除は被災地・被災者の事実上の切り捨て宣告です。原発事故被害者にたいする賠償・補償を打ち切ることと連動しています。被災者を見捨てるという棄民政策です。事故を起こした東電や政府の責任は問われていません。無責任のきわみではありませんか。DSC楢葉町00281

 政府の解除の理屈は、「年間20ミリシーベルト以下」になったとか、「戻りたいと考えている住民の方々の帰還を可能とするもの」などというものです。「20ミリシーベルト」が安全なわけがないし、帰還するもしないも住民の責任にする。とんでもないことです。避難指示の解除は、原発事故前の生活に戻れるようにまりました、というものではないのです

 ぼくも避難命令で、着の身着のままで逃げました。町民は仮設住宅に、借り上げ住宅に、とバラバラになった。ぼくは借り上げ住宅に入ったのですが、町民がバラバラになってしまって、団結して国・東電と対決するのはむつかしい。

 ぼくはいま楢葉町に戻って、宝鏡寺で生活しています。安心・安全だからではない。この寺は山寺だけど、620年の歴史があるんです。檀家の皆さんもいます。若い世代が戻らないこの寺をどうするか。考えざるを得ません。

宝鏡寺本堂

宝鏡寺本堂

 ぼくは精神障害者と知的障害者の施設を楢葉町で運営していました。事故前は96人の利用者がいました。現在、その半分くらい、いわき市にいます。その世話のため、家内は戻れない。

 復興を願わない者はいないと思います。インフラの整備も当然です。しかし、楢葉町の将来の明るい展望は、見えないままです。

 原発事故の前と後で、何が変わったでしょうか。東電と政府は住民をだまして原発をつくり、運転開始後は事故・事故隠し・データ改ざん・ねつ造の40年でした。この間、「安全神話」と札束で住民をだましてきました。その手口は、事故後も同じです。

 「福島復興再生特別措置法」では基本理念として「安心して暮らし、子どもを生み、育てることができる環境を実現する」ことがうたわれていますが、「復興神話」です。避難指示を解除して住民を帰還させ、賠償は打ち切る。これが今の実態です。

 誰にでも故郷への思いはあるから戻りたい。しかし、戻れる環境ではないのです。若い世代が町に戻らない楢葉町の将来を思うと、なんともたまらない気持ちになってしまいます。

 

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