【連帯・社会像】

星英雄:「謝罪もなく、誤りを認めないのは、核抑止力の容認につながる」という被爆者の心の叫びをきけ

 被爆者は米大統領に遠慮したのだろうか。日本国民は、日米軍事同盟の強化が核兵器廃絶につながると期待したのだろうか。日米両政府が長時間折衝し、演出したオバマ大統領の広島訪問に、称賛の声が広がっている。だが、本当にそれでよいのか。被爆者の声に耳を傾け、この問題を考えてみたい。

 オバマ大統領の広島演説を報道した読売、朝日、毎日、日経の各全国紙は、歓迎と称賛の記事が中心だった。朝日は1面で、オバマ大統領の広島演説は「『核なき世界』を主導していく決意を改めて示した」。毎日新聞も「被爆地で『核なき世界』への決意を示したことだけでなく、日米両国の真の戦後和解への一歩を刻んだという点で、歴史的である」と報じた。読売の社説は「唯一の原爆使用国と被爆国の両首脳が並んで平和を誓った意義は大きい」とし、日本経済新聞は「アジアの安保にプラス」、「日米の強固な関係明示」との指揮者の談話を掲載した。

 どれもオバマ演説の抽象的文言に核兵器廃絶への期待を込め、原爆投下したアメリカと日本の和解、つまり日米軍事同盟の強化を評価することで共通している。

 オバマ大統領の演説は「71年前、明るく、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、世界が変わってしまいました」(朝日新聞訳)から始まった。「死が空から降り」というが、主語がない。まるで安倍首相の戦後70年談話とそっくりだ。「人類を破滅させる手段」を行使したのがアメリカであることが隠される。だから、原爆投下にたいする反省と謝罪がない。

 逆に、主語がはっきりしているところもあった。「米国と日本は同盟だけでなく、私たちの市民に戦争を通じて得られるよりも、はるかに多くのものをもたらす友情を築きました」

 同行した安倍首相の演説も、この部分に焦点を合わせた。「日米両国の和解、そして信頼の友情の歴史に新たなページを刻むオバマ大統領の決断と勇気に対して心から敬意を表したい」。

 日米両政府のねらいが、両国の「和解」、日米同盟強化を印象付けることにあったことは明らかだ。「広島は大統領の花道を飾る『貸座敷』ではない。核兵器廃絶を誓う場所だ。大統領のレガシー(遺産)作りや中国を意識した日米同盟強化を誇示するパフォーマンスの場に利用されたらかなわない」(毎日新聞28日付)という広岡敬・元広島市長の怒りに強く共感する。

 オバマ大統領の言葉にある種の響きはあるのだろう。なにしろ、2009年のプラハ演説で「核兵器のない世界」を歌い上げただけでノーベル平和賞を受賞したほどだから。しかし、オバマ大統領の言葉に期待することの虚しさは、この7年間のアメリカの行動で立証ずみである。

 5月、ジュネーブで開かれた国連核軍縮作業部会。非核国120カ国以上が求める核兵器禁止条約に、アメリカは欠席し、日本は反対した。昨年、核拡散防止条約(NPT)再検討会議はアメリカなどの反対で、最終文書を採択できなかった。

 「アメリカは北朝鮮に対して安全を保障するとはいったことがない」と、日本外務省の元北朝鮮担当者は語った。北朝鮮の核実験・核保有問題で、オバマ政権と安倍政権は北朝鮮を一方的に悪者にしてすむのか。朝鮮戦争は休戦しているだけで、平和条約を締結したわけではない。戦争状態は継続している。アメリカのブッシュ政権がイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」に指定して、イラクに先制攻撃をかけてフセイン政権を転覆させた。アメリカの先制攻撃に北朝鮮がおびえていることはよく知られている。当時の小泉首相と金正日総書記の第1回日朝首脳会談で、金正日総書記がアメリカとの会談・交渉を切実に求めていることを吐露したことも知られている。しかし、アメリカは軍事的威嚇を繰り返してきただけだった。

 対テロ戦争では、アメリカの無差別な空爆で、多数の非戦闘員が無残に殺されている。核兵器の威力を高めるため、オバマ政権は巨額の予算を投じている。こうしたことが、オバマ大統領の実際の行動なのだ。

 オバマ大統領は米軍の総司令官である。広島での演説の前に、日本政府が提供する米軍岩国基地で米軍兵士を激励した。それに先立つ日米首脳会談では、嘉手納基地の米軍属(元海兵隊員)の女性遺棄事件について謝罪もせず、辺野古新基地建設は要求する。これがオバマ大統領の現実の振る舞いだ。

 核兵器を米国の世界戦略の中心に据えているオバマ政権、そのアメリカの核の傘・核抑止力が日本の安全保障政策の根幹だとする安倍政権。国民が反対する憲法違反の安保関連法(戦争法)を制定、辺野古新吉建設を強行するのも、そんな日米同盟のさらな強化のためだと安倍首相はいう。

 核で他国を威嚇し、核で他国を従わせるのがアメリカの国家戦略だ。核兵器をちらつかせ、アメリカの利益を追求する大統領の抽象的文言に期待するわけにはいかない。

 核廃絶のためには、沖縄の辺野古新基地建設反対の闘いがそうであるように、当事者の日本が国際世論をもっと動かし、世界の核兵器廃絶の運動を強めるしかない。

 そんな思いを強くしているときに、新潟県の片隅で、新潟日報5月29日付けを読むことができた。日本被団協の田中熙巳事務局長はそこでの対談で被爆者の本音を語っている。これを読むと、オバマ大統領に招かれた被爆者代表は胸中複雑だったに違いないと思う。

 オバマ大統領の広島訪問は、日米両政府が何カ月もかけて、水面下で調整して実現したという。日米両政府の意図に沿うように、日本の新聞・テレビなどマスメディアは、被爆者がオバマ大統領に謝罪を求めたら、広島訪問は実現しなくなるような、核廃絶の具体的な取り組みは示さなくても、広島を訪問するだけで核廃絶への強いメッセージ、ひいては核廃絶への動きが促進されるかのような大キャンペーンを行った。翼賛的な「空気」を醸成したのである。

 しかし、田中・日本被団協事務局長の発言は、何が問題なのかを明らかにする。胸の中に押し込んだ被爆者の本音を代弁したものと思う。

 「『自分が体験した地獄の苦しみと同じ苦しみを再び地球上の誰にも味わわせてはならない』。被爆者はこう求めてきた。核保有国とその同盟国には、核は使ってはならない兵器であること、核兵器の非人道性を理解してほしい。米国には違法な核使用に対する道義的責任を痛感し、違法行為への心からの反省を行ってほしい」

 「大統領には核兵器の非人道性を感得した上で、加害責任を明確にし、核は速やかに廃絶すべきだとの決意を示し、実行するプログラムを提案してほしかった」

 「謝罪という抽象的な言葉だけが飛び交っている感を強くした。何について、また誰への謝罪を求めるかで、必要か否か議論の位置づけも変わるはず。被爆者は原爆投下を国際人道法に反する犯罪行為と見ている。道徳や倫理にもとるという点からも被爆者が謝罪を求めるのは当然だ」

 「謝罪は必要ないとする被爆者の意見は苦渋の選択。謝罪を求めることで大統領訪問、さらに核廃絶の妨げにならないか、そうプレッシャーを感じた被爆者もいる」

 「日米両国の市民は核抑止力を本当に求めているのだろうか。そうではないと思う。被爆者への謝罪がなく、原爆の違法性、投下の誤りを認めないことは、核の保有と使用を前提とする核抑止の容認につながり、廃絶への真の意志がないことを意味する。大統領には残り任期で、包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准、米ロの核軍縮交渉を再開、大幅核軍縮の新提案をせめて行ってほしい」

 被爆者の怒りの声、真情に耳を傾けたい。

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