【連帯・社会像】

バルジャンオジマ:「負けて勝つ」問わず語り

 9月から10月にかけてNHKテレビで土曜ドラマ「負けて、勝つ」が放送された。吉田茂元首相を骨太な政治家として描いた作品だが、いかにフィクションとはいえ、その前段に「歴史にもとづく」とのキャッチフレーズをつけ、とくに最終回では憲法9条を守ったのが吉田とマッカーサー連合国軍総司令官であるかのような筋書きにされていたので、見過ごしていていいのだろうかと思っていた。たまたまきょう(10月)25日午後、石原都知事辞任・新党結成へ、の記者会見で「吉田茂の間違いは講和条約で現憲法を残したことだ」という発言が飛び出してきたので、安倍自民党総裁とともに、いよいよ明文改憲派の(再)登場か、との感を深くしつつ、ドラマにもふれて一言物申しておきたい。

 ドラマは、吉田を、外交官時代の英語力を生かしマッカーサーを巧みに巻き込んで後ろ盾とし、敗戦国日本を「独立」に導いた(外交上は「勝った」)立役者であるかのように描く。講和条約を前に日本再軍備を迫るダレスら米側に抗し、吉田はマッカーサーと組んで「9条を守った」というのである。昨今、アメリカには一言もものがいえない首相ら情けない政治家をみるにつけ、喝采を送りたくなるようなドラマの仕掛け(主役渡辺謙の力演にもよる)だけれども、歴史はどうか。

新中国の成立を機に一時期の一定の日本民主化という占領政策を転換した米政府のもと、1950年の年頭の辞で9条について「自衛権を否定したものとは解釈できない」とのべたのは他ならぬマッカーサーであった。彼は、朝鮮戦争勃発直後の同年7月、のちの自衛隊につながる警察予備隊7万5千人の創設を日本政府に命じた。吉田首相は46年当時「自衛権の発動としての戦争も放棄する」と国会答弁していたにもかかわらずマッカーサー命令を忠実にただちに実施、その費用も国会の承認なしに捻出したのである。自衛力は違憲ではないとする解釈改憲の強引な行使とともに、今日の沖縄へのオスプレイ強行配備、婦女暴行事件を生み出している日米安保条約に、これもワンマン的に調印した吉田茂とはいったいどんな政治家だったのか。

さらにその元首相をさえ否定しようとする保守政治家たちが勢いを増している今の政治状況をどう見るのか。フィクションではない現実の日本と沖縄を見つめ、変えようとしている民衆、真の意味で9条を守ろうと日夜努力している民衆こそまさに主役になる時代への希望を語り合うときではないだろうか。(フリーライター・75歳)

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