6月23日は沖縄の「慰霊の日」だ。糸満市摩文仁の平和祈念公園で開かれる「沖縄全戦没者追悼式」に参列するため、県庁に向かった。無料の送迎バスが出発したのは8時10分。すでに5台出発していたようで、6号車だった。今年は沖縄戦から71年。一般県民9万4000人と日米の軍人らを合わせ、20万人が亡くなったという。
平和祈念公園についたのは8時55分。とてつもなく暑い。県民大会から5日目の那覇だが、連日の猛暑で額や鼻の皮がむけてしまった。公園の売店で、くば笠を買って日よけにしたが、階段を上がりはじめて間もなく、足元を見つめる眼鏡に、汗がぼたぼた落ちてきた。何十段かそれ以上階段を上り、また下ったところに「沖縄師範健児の塔」があった。
戦場に動員された沖縄師範の生徒289人と職員らが祀られている。テントの中にはすでに関係者が集まっていた。
平和祈念公園にはさまざまな慰霊の碑や塔がある。花売りのおばぁにすすめられて、花と線香をそなえた。「しづたまの碑」。一家全滅の家族を祀っているという。戦死者だけでなく、その留守家族も全員犠牲になった。「一家全滅家族は約380世帯、1500余柱」と記されている。合掌。
「おばぁに会えた?」と小さい娘に語り掛ける母親。じっと手を合わせる高齢者。刻まれた名前を探す人、名前をみつけてさする人。3世代そろってやってきた人たちもいた。「沖縄ではどの家族もみんな遺族です」と言った、宮城篤実・元嘉手納町長の言葉を思い出す。
「沖縄全戦没者追悼式」で、ひときわ大きな拍手が鳴り響いたのは3度あった。いずれも翁長雄志沖縄県知事の「平和宣言」に対してだ。減海兵隊の削減などに取り組むことを強調した時、辺野古新基地建設反対を貫くことを表明した時、そしてスピーチを終える時。
翁長知事は「平和宣言」で元米海兵隊員の軍属による女性暴行殺人事件に触れてこう訴えた。
「広大な米軍基地があるがゆえに、長年にわたり事件・事故が繰り返されてまいりました」「沖縄県民に日本国憲法が国民に保障する自由、平等、人権、そして民主主義が等しく保障されているのでしょうか」
「真の意味で平和の礎を築くためにも、日米両政府に対し、日米地位協定の抜本的な見直しとともに、海兵隊の削減を含む米軍基地の整理縮小など、過重な基地負担の軽減を先送りすることなく、直ちに実現するよう強く求めます」
「普天間飛行場の辺野古移設については、県民の理解は得られず、これを唯一の解決策とする考えは、到底許容できるものではありません」
翁長知事と好対照だったのが安倍首相だ。沖縄の声に耳を傾ける気はまるでないことが、重ね重ねはっきりした。来賓あいさつでこう言った。「米国とは、地位協定上の軍属の扱いの見直しを行うことで合意し、現在、米国と詰めの交渉を行っております」
せいぜいのところ、軍属の範囲をせばめるだけに過ぎない。米軍・米兵には痛くもかゆくもない。「国民の命と財産を守る責任を負う政府」とはよくぞ言ったものだと思う。安倍首相は、いまの沖縄県民の気持ちからこんなにもかけ離れている。沖縄に犠牲を強いる安倍・自公政権を許すな。