【連帯・社会像】

星英雄:「素人の乱」も「9条の会」も老いも若きも脱原発

 いま注目の東京・杉並の脱原発運動。ごく普通の人たちが、「原発はいらない」という一点で広くゆるくつながって、ことしはじめ「脱原発杉並」を立ち上げた。まわりから「重鎮」と呼ばれる深野和之(75)さんに聞いた。

 東京も福島もとても暑かった8月、「脱原発杉並」は福島の子どもたち(親子32人)を3泊4日の合宿に招待した。富士山からの地下水が湧き出している忍野八海(おしのはっかい)は、すばらしい自然環境に恵まれたところだ。夏休みの機会に、放射線量を気にして外で遊べない福島の子どもたちに思いっきり遊んでほしいと願ってのことだった。「喜んでもらえてわたしたちも嬉しかったね。カンパも予想を超える260万円も集まって、来年もまたやろうと決めたんです」。

 2月にはロックやカラオケとともに5000人が、5月には4000人が大規模なデモを展開して脱原発をアピールした。「盆ダンス with 福島」などさまざまなイベントを催して福島を熱く応援する。  6月には杉並公会堂に住民が集まって、「脱原発杉並宣言」を発表した。①すべての原発の再稼働に反対②すべての原発を廃炉にする③安全で再生可能なエネルギーへの転換、を求めている。

無名人も著名人も

 自由にしなやかに、たくましい杉並の脱原発運動。1月に開いた最初の実行委員会の司会を深野さんがつとめた。「100人も参加して、すぐに7人も8人も挙手して発言をはじめました。デモをやってもあまり変わらないから区長の協力が必要だという意見や、菅直人首相(当時)の奥さんに力を借りようとか。これだけの人が集まったのだから、いろんな意見があって当たり前。議論をすすめて、個人も団体も著名な人も無名の人もみんなが参加できるものがいい。原発ゼロの1点で行動することは確認できました。でもその先のこと、集まる場所とかデモの出発点とか、まとまりかけるとまたもとに戻ったり、夜中まで議論しましたね」

脱原発杉並の重鎮、深野和之さん(写真は深野さん提供)

 

 2回目の実行委員会からは司会を若者にまかせ、深野さんは裏方に回った。  深野さんは「杉並9条の会」の事務局長をつとめた。「原発やめろデモ!!!!!」の仕掛け人、「素人の乱」の松本哉さんらとデモを企画してきた。松本さんは深野さんを「重鎮」とよんで敬意を表する。

 深野さんは松本さんに感心したことがあるという。「脱原発杉並」が市民に訴えるビラの内容はあえて統一しない。それぞれのグループが自分たちにふさわしいアピール内容にすることを松本さんが提案し、実現した。「ゆるやかなつながり、これが『脱原発杉並』の共有財産になりましたね」。  「いまどきの若い人は、松本くんをはじめみんなしっかりしてますよ」

地域の活性化に貢献

 「デモをやると地域の人に迷惑がられることがありますね。杉並では逆に、歓迎されるようになりました」。  「デモ割」というのがある。デモの終わった後に参加者が居酒屋などにいくと、料金が「割引」されれる。何千人も集まるのだから、地元の飲食店も潤う。デモの参加者は解散後にも運動のあれやこれやをおしゃべりしてまた盛り上がる。デモに参加した人たちと地元の商店街の人たちの連帯感も深まるというわけだ。  「地域デモが地域の活性化に寄与するまでになったんです」

 深野さんはデモを警察に届け出る責任者をつとめている。  「地元警察はまだ穏やかですが、機動隊はすきあらば逮捕したいという雰囲気ありあり。逮捕者が出るかもと脅すんです。デモ行進のコースについて警察と何時間も交渉して、かなりこちらの主張を通しましたけど」  「素人の乱」のデモでは逮捕者が出たりして、その後始末に追われてしまった。だから、デモが終わって乾杯するなんて、考えられなかったことだ。「脱原発杉並」のデモは進化している。

 脱原発杉並の影響力はなかなかのものだ。首都圏反原発連合の首相官邸前抗議行動では交通整理を担当。「脱原発杉並」の会合に参加していた東京・中野区の住民たちが杉並に学んで、「脱原発中野も」を結成した。誰「も」が参加できるようにとの意味がこめられているという。

「9.17野田KOの日」と名づけてデモをした(脱原発杉並のホームページから)

 野田佳彦首相の地元・船橋市で6月、9月に、中央線沿線の複数の脱原発グループが「野田退治デモ」を実行した。2度とも2000人を超える大デモだったが、「脱原発杉並」の役割は大きかった。

幅広い連帯が力に

 「脱原発杉並」の運動が影響力と広がりをもつようになったことについて、深野さんはこういう。「ツイッターを通して広がっていった面もあるけど、地域のこれまでの人間関係や地域で取り組んできた運動が下地になっていることが大きいと思います。とくに教科書問題の取り組みです」。

 杉並では2005年に、日本の過去の侵略戦争を賛美する「つくる会」の歴史教科書を採択した。しかし、歴史学者や市民たちの運動で、ついに昨年「つくる会」教科書を採択させないことに成功した。この長年にわたるたたかいでは、右も左もなく共闘した経験がある。「全教系の組合も日教祖系の組合も、そして共産党や社民党、生活者ネットなど、みんなまとまって幅広い運動をやったことが成功をもたらした。これが『脱原発杉並』の運動に生きていると思うね」。

 「杉並の人たちは脱原発だけでなく、TPPも消費税も根っこは同じだと気がつきはじめています」

 

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