【福島・沖縄からの通信】

城間真弓:子育てする当たり前の生活がこんなにも米軍基地と密着しているなんて

 沖縄の東村・高江で、政府が海兵隊の訓練施設であるオスプレイ・ヘリパッド建設を強行着工しました。しかし、海兵隊の撤退、全基地撤去の県民世論は次第に大きくなり、基地建設に反対する若い世代も目立ちはじめています。そんな1人、「安保関連法に反対するママの会@沖縄」の城間真弓(しろま・まゆみ)さん(37)に話を聞きました。〈文責・星英雄〉

──元米海兵隊員による女性暴行殺人事件、辺野古新基地建設、高江のヘリパッド建設と、次々と沖縄に襲いかかるようです。

 基地はもういりません。過去にも暴行事件はいっぱいあって、それらも決して許せない事件ですが、自分の中では過去のものとして頭の中にあったように思います。しかし今回の事件は、頭じゃなくて心で感じました。あまりにも衝撃が強過ぎて、あまりにも悲しすぎて、苦しすぎて・・・。いろんな思いがこみあげてきました。

 私には2人の娘と1人の息子がいます。子育てするときの私たちの当たり前の生活と、米軍基地がこんなに密着している、基地があるからこんな事件が起きるのだとあらためて思いました。

 2014年11月の県知事選挙で翁長知事を選んだときは、もうこれ以上基地はいらない、政府も辺野古に新基地を造ることは諦めるだろうと思っていたんです。でも、工事がどんどん進められていくのをテレビを通してみたときに、違和感が危機感に変わりました。いまの沖縄、これからの沖縄にもっと本気で向き合わないといけない。そう思った矢先に事件が起きてしまいました。

 私が米軍基地の問題を真剣に考え始めたきっかけは、映画「標的の村」を見たことでした。信頼する友達に誘われて、私の実家がある読谷村で「標的の村」を見ました。

 映画を見て、とても強い衝撃を受けました。私たちが子どもたちとゆっくり過ごしているときに、夫と私がビール飲んでいるときに、高江ではおじぃおばぁが体を張ってオスプレイのヘリパッド建設に反対し座り込みをしていました。それに対して政府は「通行妨害」などといって子供まで訴えたりしている。同じ沖縄にいるのに、私たちは当事者じゃない、これではいけないと思いました。

城間真弓さんと2人の娘さん

城間真弓さんと2人の娘さん

 辺野古でもおじぃおばぁがこの島を二度と戦争の場にしたくないと、闘っています。その姿をみたときに、テレビの画面越しに見ているだけでいいのかと、罪悪感さえも感じました。やっと沖縄戦を生き抜いてきた人たちに、これから楽しく人生を過ごしてほしいのに、自分たちはなにをやっているのか、と思ったのです

 自分たちは、子供たちの命を守るといっていながら実は無関心でいたのですね。ゲート前で機動隊に引き抜かれるなんて格好悪いけど、ちゃんと沖縄に向き合おう、まずは辺野古にいってみようと、恐る恐る行ってみたんです。いつ逃げてもいいように、ランニングシューズをはいて、子どもたちにも「なにかあったらすぐ逃げるんだよ」と言い聞かせて。

 ニュースは機動隊の場面が多いから、普通のお母さんたちは怖くていけないんです。でも、行ってみるとカチャーシーを踊っていたりして、だれもが参加できることが分かりました。私も、今日はゲート前でフラ(ダンス)を踊りましたとか、おばぁたちと虫かごをつくりましたとか。そんな辺野古の姿を発信しています。

 私たち親子もこの1年半、生活が一変しました。週末は家族でキャンプが定番でしたけど、週末のたびにキャンプ・シュワブのゲート前に行くようになりました。子どもたちも喜んで参加しています。

──沖縄のママの会はいろんな活動に取り組んでいるようですね。

 いろんなお母さんたちとつながることができました。地域でできることを少しずつ、憲法カフェであったり、フリーマーケットやピースアクションなどに取り組んできました。

 辺野古でも、近くにこんなコンビニがあるんだよと、辺野古座り込みマップをつくったりして、遠くにあった辺野古が少しでも子育て世代に身近に感じてもらえるようにと、取り組んできました。いまは少し、形になってきたかなと感じているところです。

 ただ、表で声をあげたり、現場に足を運べる人はまだ少数です。沖縄は島だし、血縁関係などもあって、顔をみられたくないとか知られたくないという気持ちが働きます。

 それでも私たちママの会の後ろには沖縄のたくさんのママさんたちがいます。自分でいうのは変な気もしますが、今の沖縄で、すごい大きなことだと思います。

 沖縄は、安保法制でも米軍基地の問題でも、ストレートに意思表示できない、複雑さもあります。米軍基地経済は、沖縄経済全体の5%程度にしか過ぎないと言われますが、まだまだ影響しています。軍用地料をもらっていたり、基地で家族を養っている人たちが身近にいるので、なかなか口にしづらい雰囲気があります。

 私は読谷村で生まれ、育ちましたが、そこにはトリイステーションという米陸軍の基地があります。もともとはそのフェンスの中の楚辺という地域に実家がありました。

 私の住んでいた地域のほとんどが元々はトリイステーションの基地の中にあった為、軍用地料を貰っている人が多くいます。私の身内も軍雇用員が多く、小さい時から基地のことは、家族の中で口にしてはいけない空気がありました。ですから、家族の間ではほとんど話題にしないで過ごしてきました。

 米軍に土地を取り上げられた代償として軍用地料をもらっていることと、基地反対は別のことなんだけど、沖縄の人たちは「もらってるさー、あんた」と言われたら、何も言えなくなってしまうようなところがあるんです。基地にお世話になっているから生活できているんでしょうというわけです。

 世間体とか自分の家族や親せきのことを考えると、口にするとか、思っていても名前を出せないとか、躊躇するんです。基地反対は言っても、どこのだれだかわからないように、言う。

 自分もかつてはそうでした。他の人たちに聞いても、事件があるたびに基地はもういらないと思っても、口に出せるような環境じゃない、というのです。

 若い人は米軍に友達がいる、クラブで出会った飲み友がいる。いっしょに週末を過ごしたり、英語も習えるし、音楽はかっこいい。薄いつながりだけど、広がっていく。

 基地の人と結婚している人もいる。小さな島だし、仲良く付き合いたいという気持ちのほうが強いと、言えなかったりするんです。

 でも、子どもたちは私が生んだ命、私しか守れない。世間体より、私がこの子たちを守るんだという気持ちになって、ゲート前に行くことで自分の殻を破ることができました。

──沖縄の若い世代が、とくに沖縄の戦後の歴史を知らないのではと心配する声もあります。

 沖縄戦があり、米軍占領下で土地が奪われ、基地が造られていった沖縄の歴史は、私も親から聞かされずに育ってきました。家の中であまり政治の話はしませんし、ニュースを見ていても、チャンネルを変えられたりしました。沖縄の歴史を知らないと、なにを基準にいい悪いを判断したらいいか、わからなくなります。

 沖縄の歴史を知らないと、今度の事件もただ、悲しいで終わる。なにがどうあって、悲しいのか。沖縄の歴史を学ばないと、基地問題はこれからもっともっと難しくなると思います。

 「和解」で工事が止まる前は本当に大変でした。朝4時ごろに起きて、ゲート前に行き、その後夕方6時まで仕事でした。私だけではありません。どうして普通のお母さんたちがおばぁたちと腕を組んで、機動隊に引っ張られて傷ついて、そのまま出勤するこの沖縄はなんなんだと思いながら、泣きながら過ごした日々もありました。

 今度の事件を通して、いまの沖縄はやばい、と気づく人が増えると思います。ぜひそうなってほしい。高江のヘリパッド建設も辺野古新基地建設も決して認めるわけにはいきません。私達ママの会の活動も、沖縄の現状にお母さんたちが気付いてくれるきっかけになってくれればと、願っています。

城間真弓:子育てする当たり前の生活がこんなにも米軍基地と密着しているなんて” への1件のコメント

  1. 城間真弓さんとのインタビュ一興味深く読ませていただきました。いまフェイスブックの友達ですから日頃の辺野古や高江の活動はそれを通してかなり知ってはおりますが、ご本人とて昔から現地に関わっておられたわけでなくお子たちの将来のことを考えてのやむを得ない行動であること、またご家族のことなど考えたら葛藤がないわけでないことがよく表現されていました。貴重なお話ありがとうございます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)