琉球大学大学院で「ウチナーグチ継承」に関する研究をし、「SEALDs RYUKYU」のメンバーとして名護市辺野古への米軍新基地建設や高江の新ヘリパッド建設に反対する平良美乃(たいら・よしの)さん(23)に、米軍基地問題や沖縄への思いについてききました。〈文責・星英雄〉
──米軍基地があることで凶悪事件が起き、基地が経済発展の阻害要因といわれるようになっています。若い世代として基地問題をどう受け止めていますか。
なぜ沖縄にこんなに基地があるのと問われれば、私は沖縄に基地を押し付ける政府とそれを支持する本土の人たちがいるからだと答えます。沖縄に対する差別です。
沖縄の自己決定権が奪われているからだとも思います。7月の参院選、そして県知事選でも衆院選でも、辺野古新基地建設反対の県民の意志ははっきりと示されているのに、安倍政権は辺野古でも高江でも強行しています。沖縄の土地の使い方、沖縄のことはウチナーンチュ(沖縄の人)で決めるようになれば良いと思います。
長い歴史のなかでいまの沖縄があるのですが、沖縄の歴史を振り返れば、沖縄に基地は必要ありません。これからどんな沖縄をつくっていくか。沖縄の歴史、文化、自然をふくめて、もっとウチナーンチュ同士での議論をしていくことが大事だと思います。
私が基地問題を意識したのは大阪の大学に行ってからです。沖縄県外の人たちは、沖縄出身ということで私に好意的でした。でも、海はきれいとか、観光地としての沖縄のイメージを持つ人がほとんどでした。そのことに徐々に違和感を持ち、沖縄と本土の違いを感じるようになりました。
「沖縄弁」をしゃべってほしいといわれましたが、しゃべれませんでした。沖縄も日常は日本語・共通語が主流です。じいちゃん、ばあちゃんは全部ウチナーグチ(沖縄口=沖縄語)、わたしのような孫世代はヤマトグチ(大和口=共通語)を使い分けています。ウチナーグチを受け継ぎたい気持ちが強くなりました。
アメリカの大学に留学していた頃、2013年12月、仲井真前沖縄県知事が辺野古の海の埋め立てを承認したことにとてもびっくりしました。沖縄では自分たちの言葉も失いつつあるのに、海を埋め立てて基地をつくるなんてありえないと思いました。自然は一度壊したら元に戻らない。沖縄らしさがなくなるという危機感が募りました。
私は、人間関係がいやな時でも、海を見たら落ち着くんです。沖縄の魅力は、海をはじめとする手付かずの自然です。海や言葉、沖縄独自のものを守りたいというのが私の根本にあります。そして、沖縄が米軍基地によって要塞化されるという差別構造をなくしたいという思い。これらが私にとっての基地問題です。
──おじぃ、おばぁに比べると、沖縄の若者は保守的だと言われます。
私の場合、基地問題があることはわかっていましたが、他人ごとでした。決して無関心というわけではなかったのですが、自分の問題ではありませんでした。日本の国土全体の0・6%の面積の沖縄に、米軍基地(専用施設)の74%が集中していることは授業で学んで知っていました。しかし、自分がどうすればいいかとまでは考えが至らなかったのです。
基地問題でウチナーンチュの間でも対立、分断があります。小さな島が米軍基地で仲が悪くなるなんて悲しい。
でも、米軍基地に対しておじぃ、おばぁ、先輩たちは、抗議の抵抗を続けています。その状況をみたら、そのことを理解しようと思ったら、知らないことばかりだと気づきました。過去にさかのぼって沖縄の歴史を学ぼうと思いました。
いまの抗議行動は20年間続いています。もっとさかのぼると、本土にあった海兵隊が沖縄に移されて米軍基地が拡張されたこと、そしていまの沖縄の過重負担があるのです。
なんでそうなっているのだろうと、さらに琉球処分まで歴史をさかのぼっていけば、いろんなことが結びついていることもわかります。方言札などの同化政策があったという事実もわかってきました。
言葉って、文化の土台なのに、いまそこが揺らいでいます。シマクトゥバを知らない世代が多くなっています。でも、方言の価値は高まっていて、同世代でシマクトゥバを話したい人は、まだ多くいることも確かです。
私たちの世代は、アメリカ文化を好きな人はたくさんいます。私自身は大学2年のころにアメリカに留学して、その異なる雰囲気を肌で感じたし、アメリカ人の友人も沢山できました。また、英語の歌や建物など、好きなところはいくつもあります。
しかし、米軍と米人をごっちゃにして基地問題を直視しない人たちも多い。
米軍基地の中でイベントが多くあり、そこに行く学生も少なくありません。基地内でバイトする人もいます。だから、簡単に基地反対・賛成で議論できるものではない、という考えも根強くあります。基地の存在・軍隊と、アメリカ文化・アメリカ人をどう考えるか、どう向き合うかですね。
同世代の人と話をして、初めは、”タブー感”や関心のなさが基地問題の話をしにくくさせている要因だと思いましたが、最近はそうでもないのかなと。みんな、思っていることを発言する場がないだけではないかと思うようになりました。
小中高で基地問題を習っても、議論する場がなかったと思います。幸い私は「SEALDs RYUKYU」の仲間と議論することができて、助かっています。
私たちの世代は、沖縄がどういう道のりでここまできたか、共通認識が出来ていないと思います。沖縄の歴史、自分のルーツとなる島のこと、先祖のことをもっと勉強しようと思っています。
──うるま市の20代の女性が元海兵隊員に殺されるという衝撃的な事件も発生しました。
伝えられる情報はあまりにも残酷すぎました。命が簡単に奪われる現実に、言葉が出てきませんでした。殺された女性の両親、身内の人を考えると、自分は何も言えないと思いました。
私は1993年生まれです。生まれたときから米軍基地がありました。1995年の事件とか沖縄国際大学のヘリ墜落事件などもありましたが、身近で生々しい事件に直面してきませんでした。今回のうるま市の事件は、自分の中でこれまでで、一番大きな衝撃だったとも言えるかもしれません。
米軍は前よりずっと怖い存在になりました。最近明らかにされた、沖縄の米海兵隊が沖縄に着任した兵士を対象にした研修プログラムは、沖縄の人を見下しています。そう教え込まれた海兵隊員が、沖縄の人を安易に殺してしまう人格になっても不思議ではないと思います。
米軍基地があるゆえに海兵隊がいて、凶悪事件が引き起こされる。沖縄の人の命を軽く見ている怖さ。女性は誰でも、いつ襲われても不思議ではない。表に出ている事件は氷山の一角と言われますが、本当にそうだと思います。
沖縄の米軍基地反対運動はもっと強くなると思います。私たちの上の世代は、コザ暴動や、米軍による多くの事件を共有していると思います。私たちの世代は、どちらかといえばアメリカ文化に強く影響され、米軍基地を当たり前のように受け入れてきた世代です。しかし、沖縄に対する想いが熱い人は同世代に沢山います。沖縄独自のもの、沖縄の中の多様性を次へと継いでいきたいという想いを共有することで、シマクトゥバや基地に関することをもっとオープンに議論し取り組んでいけると思います。
〈注・沖縄では戦前戦後、学校でしまくとぅば(島言葉)を話すと、子どもたちには見せしめの「方言札」が、首につるされた。標準語・共通語励行のために沖縄各地の学校で行われた〉