【連帯・社会像】

星英雄:命や人権をないがしろにする辺野古新基地建設に手を貸す「辺野古訴訟」判決

 「日本(本土)の安全保障政策こそ、沖縄にとっての脅威だ」──。沖縄県民の思いを代弁すれば、こういうことになるのではないか。他方、辺野古新基地建設に関して、国が翁長雄志沖縄県知事を訴えた「辺野古訴訟」の判決は、辺野古新基地建設にゴーサインを出した。日本国憲法を黙殺し、国民の命や人権をないがしろにしなければ成り立たない「日米同盟」を賛美するのが司法の役割なのか。

 福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長)の判決については、すでに多くの批判がある。「辺野古の基地建設をやめれば普天間飛行場による被害が継続すると明言し、沖縄の『地理的優位性』を認めるなど、国の言い分をそのままのんだ判決」(仲地博・沖縄大学長、朝日新聞17日付)

 「戦後70年以上も続く過重な基地負担、基地維持を優先した復帰後も変わらぬ国策、地位協定の壁に阻まれ今なお自治権が大きな制約を受けている現実-こうした点が問題の核心部分であるにもかかわらず、判決はそのことに驚くほど冷淡だ」「司法の独立がほんとうに維持されているのかという根源的な疑いさえ抱かせる判決である。とうてい承服できるものではない。」(沖縄タイムス社説、17日付け)

 「辺野古新基地に反対する県民世論を踏みにじり、新基地建設で損なわれる県益を守る地方自治の知事権限を否定する判決であり、承服できない」「裁判で翁長知事は辺野古新基地により『将来にわたって米軍基地が固定化される』と指摘した。その上で『県知事としての公益性判断を尊重してほしい』と訴えたが、判決は県民の公益性よりも辺野古新基地建設による国益を優先する判断に偏った」(琉球新報社説17日付け)

 今回の判決を、国民の安全保障の視点から考えてみたい。判決は、通常の裁判の枠を超え、安倍政権が推進する辺野古新基地建設を是とするまで踏み込んだ異例の内容だ。「普天間飛行場の被害を除去するには新施設を建設する以外にはない。新施設建設をやめるには普天間飛行場による被害を継続するしかない」とは、安倍政権の主張そのままである。

 判決はさらにこうもいう。「普天間飛行場の移転は県の基地負担軽減に資するものである。新施設等の建設に反対する民意に沿わないとしても、普天間飛行場その他の基地負担の軽減を求める民意に反するとは言えない」

 辺野古新基地建設が沖縄の基地負担を軽減するとか、それが民意に反しないなどと、何を根拠にいえるのか。

 いま沖縄では「全基地撤去」が民意である。性暴力、殺人など米軍の犯罪は「基地あるがゆえ」というのが県民の認識だ。単なる「負担軽減」ではない。基地の移設でもない。命と人権を日々脅かす根源をなくしたい。それが米軍の全基地撤去の民意の高まりとなっているのだ。

 今年4月の元海兵隊員による20歳の女性暴行殺人事件は、米軍基地こそ元凶だということを沖縄県民にあらためて確認させた。6月の県民大会は海兵隊の撤退と県内移設によらない普天間飛行場の閉鎖・撤去を要求した。被害女性の父親は「次の被害者を出さないためにも全基地撤去、辺野古新基地建設に反対」のメッセージを寄せた。

 戦後71年、米軍直接統治の時代も、日本復帰後も、沖縄の過重な基地負担は変わらない。米軍基地・米兵らにおびえながら生活するのはもうやめよう。これが沖縄の総意である。

 日米同盟の根幹である日米安保条約は第6条で、「アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」と定めている。「全土基地方式」と呼ばれ、米軍が望めば日本のどこでも基地にできる、世界で他に例をみない取り決めなのだ。

 日米同盟は、米国に日本が基地を提供することで成り立つ軍事同盟だ。安倍首相が辺野古新基地建設を強行しようとするのも、「日米同盟の強化」が目的である。

 命と人権を踏みにじられる沖縄県民が求める「全基地撤去」と両立しないのは当然だ。

 「国の説明する国防・外交上の必要性について、具体的な点において不合理であると認められない限りは、被告はその判断を尊重すべきである」と判決は言うが、福岡高裁那覇支部の裁判官は何を見ているのか。

 日本国憲法は、基本的人権は「侵すことのできない永久の権利」であると宣言している(第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる )。

 日本国民である沖縄県民に、命や人権のこれほどの犠牲を強いる日米同盟は「不合理」ではないのか。司法を担うものはもっと日本国憲法に忠実でなければならない。

 判決後の記者会見で翁長知事は怒りをあらわにした。「なぜ沖縄だけがほかの都道府県と異なる形で物事が処理されるのか。1地方自治体の自由、平等、人権、民主主義、民意が一顧だにされないということが、ほかの都道府県であり得るのか。大変疑問だ」。

 問われるべきは、沖縄県民・日本国民の命や人権をないがしろにする日米同盟・日本の安全保障政策なのだ。

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