「中塚明先生、朴孟洙先生と行く 第11回韓国・東学農民軍の歴史を訪ねる旅 2016」(富士国際旅行社)に参加して、10月17日から22日まで5泊6日のツアーを楽しんできた。日韓市民交流の旅でもあった。
日本の侵略・植民地支配に反対して蜂起したのが東学農民軍だ。日本は「朝鮮の独立」を掲げて清国(中国)と戦った(日清戦争=1894~1895年)が、実はどちらが朝鮮を支配するかを争ったものだ。日本は東学農民軍を中心とする反日闘争に直面した。日本軍は東学農民軍を徹底的に弾圧し、殲滅した。日本ではほとんど知られざる歴史だ。そして1910年に朝鮮を併合、植民地にした。この歴史的事実を認識しないで日本の近代史の理解はできない。この旅は「日本という国はどんな国かを考える旅」(中塚名誉教授)である。
東学思想が広まったのは、「侍天主」つまり身分の上下にかかわらず誰もが天地万物の生命を持つことができるという平等思想であることが大きい。当時の朝鮮の社会的矛盾の中で生まれた変革の思想といわれる。<中塚明/井上勝生/朴孟洙『東学農民戦争と日本 もう一つの日清戦争』など参照>
1998年10月に来日した金大中大統領は日本の国会演説で、「アジアにも西欧に劣らない人権思想と、国民主権の思想」があったと、仏教、儒教とともに東学思想を紹介した。2004年には、韓国で「東学農民革命軍の名誉回復に関する特別法」が成立した。
旅の始まりは10月17日(月)。成田空港発12:45の大韓航空KE716に乗り、釜山空港に着いたのがほぼ定刻の15:00だった。中塚明・奈良女子大学名誉教授ら関西空港、福岡空港から到着した人々が合流し24人のツアーとなった。添乗員は富士国際旅行社の鎌田千夏子さん。
専用バスで慶州市内に向かう。車中で、現地を案内してくれる朴孟洙(パク・メンス)円光大学校教授、韓国のいろんなことを説明してくれる韓国在住の韓末淑女史のあいさつがあった。
バスが少し走り出すと、窓から稲田が見える。日本に劣らず、美しい風景だ。この旅で、ソウルを除けば、いたるところに田園風景をみることができた。
2人のひ孫がいるという韓さんが、「慶州にはキム・スロの墓がある」と話した。キム・スロは韓国ドラマを通して「鉄の王」として知っている。伽耶(カヤ)国初代王だ。以後、韓さんの達者な日本語のガイドは旅の終わりまで、私たち一行を楽しませてくれた。感謝。
バスを走らせて夕方になった。「東学思想の底流にあるのが仏教」(朴教授)ということで仏国寺を見学する。仏国寺はユネスコ世界文化遺産に登録されている。
夕食時、参加各人が自己紹介した。リピーターが多いのに驚いた。
2日目、10月18日(火)。8:30にバスでホテルを出発。今日は「東学の発祥地、慶州を歩く」1日だ。
東学思想の歴史的前提となる新羅時代の大乗仏教の遺跡を見学した。「韓国では仏教の遺跡としては第1のところ」と朴教授。南山には「磨崖彫像群」と呼ばれる岩に刻まれた仏像などが数多くある。
ここで朴教授が説明してくれた。「仏教は平等思想だが、支配層を支えたりして、社会的レベルでは実践されなかった。平等思想を社会的運動、新しい社会をつくるため命をかけて実践したのが東学思想。韓国では平等思想として初めて社会的運動として実践し、歴史をつくった」。
南山全体がユネスコ世界文化遺産だという。
この日は、韓国テレビ・ラジオ作家協会のソン・ボナさんが同行した。東学農民運動をラジオドラマにするための取材という。朴教授の通訳で、ドラマを作る動機などについて、短いインタビューを試みた。
「韓国では農民革命が名誉回復され、政府関係者が放送作家にドラマづくりを要請していると聞いたことも(動機の1つ)」。「(金大中大統領が3大思想の1つといったことは)初めて聞きました。もっと勉強して、いいドラマをつくり、韓国社会に広げたいと思います」と話してくれた。
「東学農民軍の見直しの契機」について、朴教授に聞いてみた。次のような話だった。
「一番大きな背景は光州民主化運動だ。国民の命と財産を守るはずの軍隊による虐殺があり、韓国社会全体に大きな影響を与えた。学問のあり方や市民運動のあり方に対する反省。それが80年代後半に韓国全体に広がった。こういう悲劇を2度とおこさない国をつくるため、いろんな分野の動きが出てきた。悲劇の原点は農民革命が失敗したこと。東学を再評価する動きが大きくなり、それが名誉回復につながった」
光州事件は、全斗煥将軍(1980年9月、大統領就任)ら軍部が光州民主化運動を武力で弾圧し市民を虐殺した。全斗煥は退任後、光州事件の責任を及され逮捕、無期懲役に処された(特別赦免で釈放)。光州事件はいまも韓国民主化運動に大きな影響を与え、朴教授が東学思想の理解を深めていくことにもなったという。
午後は、東学の創始者である崔済愚(チェ・ジェウ)の生家などを見学した。
夕食は、近く韓国でも出版される中塚名誉教授の『歴史家 山辺健太郎と現代』を韓国語に訳した金聖淳(キム・ソンスン)さんと隣り合わせ。名刺交換した。
10月19日(水)
今日は、南原(ナモン)の東学農民戦争ゆかりの地を見学した後、夜は日韓市民交流会が予定されている。現地の韓秉鈺(ハン・ピョンオック)さんもガイドに加わってくれた。
「南原は東学の第2の聖地」と朴教授。石段を上がり、蛟竜山城の城壁を見て少し小高い所。「南原市全体が見えるところ」というが、あいにく視界は悪かった。この辺りは①倭寇②豊臣秀吉の朝鮮侵略③東学農民軍との戦争で日本軍が寺や民家を2度焼き払った歴史がある。韓秉鈺さんは「いい言葉で日本について話せない」といい、朴教授は「この地域の人々にはトラウマが残っている」といった。
旧南原駅は日本の植民地時代に、日本軍の軍事戦略上の必要性からつくられたという。構内のホームも、モニュメントとして保存されている。
旧南原駅前には、日本の植民地支配に反対する3・1独立運動の記念碑があった。私も、日本の朝鮮植民地支配を忘れてはならないと、改めて思う。
南原の農民リーダーの墓などを見て、木浦に向かう。
夜は木浦で、この旅の目的の1つでもある地元・韓国の市民と日本の市民の交流だ。会場に入ると、ステージにはハングル文字で「2016 歴史を直視する韓・日市民交流会」の大きな横断幕が張られていた。私たち一行と韓国市民を合わせ、100人近い日韓市民が参加した。
韓国側からは姜貞埰・前全南大総長が「人の命、生活を大事にする社会をつくるために私たちが何をするべきか」、そんな交流の場にしたいとあいさつした。日本側からは中塚明・奈良女子大学名誉教授があいさつに立ち、「日本では戦争法が国会を通過したが、市民が立ち上がって大きな運動になっている」と応じた。
日韓から参加した市民が発言した。東学農民軍の旅が「人生の転機となった。隠された歴史を知らせていきたい」と話す女性ら日本側から4人。「木浦の農民を素材に、東学農民運動を知らせている」と木浦の劇団員ら韓国側から4人。
続いて歓迎公演。中国の二胡のような楽器で、 ヘグムというらしい。漢字では奚琴(けいきん)の演奏。そして、勇壮な太鼓や鉦が鳴り響き、「東学パフォーマンス」と呼ばれるパントマイム。惜しみない拍手が贈られた。
ただ、夕食はこの後、8時50分過ぎだったのには参った。
少し胃袋をなだめてから、私も光州市の民主化運動に取り組む外科医のジョン・ホンジュンさんと名刺交換し、交流した。ジョンさんは韓国側4人の発言者の1人で、その発言に共感したからだ。こんな内容だった。
──韓国は核戦争と原発の2つの危機に直面している。アメリカは北朝鮮を先制攻撃するかもしれない。韓国の原発は毎日のように小さな事故が起きていて、福島のような事故が起きるかもしれない。私たちは平和な韓国を目指している。・・・・
朴孟洙教授にまた通訳をお願いすることになってしまった。私は、ジョンさんの発言は素晴らしい内容だったこと、日本では北朝鮮の核の脅威ばかりが強調されているが、私が取材した日本外務省の元高官は、「アメリカが北朝鮮の安全を保障しない」ことが問題の核心だと指摘していたことなどを話した。アメリカを軸にした日米、韓米軍事同盟の危険性だ。
話は通じたようだ。ジョン・ホンジュンさんは「来年また来てください」といってくれた。短時間の日韓交流だったが、少しばかり、気分が高揚した。(続く)