12月3日、首都大学東京で開かれた「同時代史学会」で、天皇の国会開会式出席問題が1つのテーマとして取り上げられた。長野県短期大学の瀬畑源(せばた・はじめ)助教(日本現代史)が「国会開会式と天皇─帝国憲法と日本国憲法の連続と断絶」と題して報告した。いまという時代を考えるうえで、興味深い報告だった。
瀬畑氏は報告の冒頭で、今年1月の通常国会開会式に共産党議員が出席して話題になったことを喚起し、共産党はこれまでは「憲法に逸脱する」として反対していた、と指摘した。
国民主権の日本国憲法下においては、天皇の国会開会式出席と「おことば」は「公的行為」であり、憲法に定められた国事行為ではないこと、一方、天皇主権の帝国憲法時代は、天皇が開院式を主催し、開院式が終わらないとそもそも議事に入れなかったと強調したうえで、次のように問題を提起した。
天皇主権から国民主権に変わった現行憲法の下で、いまも天皇は玉座から「おことば」を読んでいるのはなぜなのか。
新憲法下での第1回国会召集時(1947年5月)の議論を検討し、「開会式は帝国議会の開院式の多くを引き継いだ」と瀬畑氏は結論付けた。それは当時の国会が、「一君万民思想や『臣民』意識が残存し、国会の権威づけに天皇を利用した」ためであり、「象徴だから、という議論はされた形跡がない」という。
さすがに、国民主権の憲法の下、国会法に盛り込むわけにはいかなかったが、天皇が出席し、勅語(いまの「おことば」)をのべることを「慣例」扱いすることにしたようだ。
当時の衆議院は、社会党143、自由党131、民主党124、国協党31、共産党4、その他で構成されていた。新憲法の「国民主権」の何たるか、知らないか、無視したのか。その時の国会の意思にいまも支配されていることになる。
瀬畑氏が活用した資料の一部を紹介したい。まず、1980年3月27日参議院内閣委員会で、山本悟・宮内庁次長が答弁した内容。
「召集行為、召集すること自体は国事行為ということになってまいります。その国会の開会式に御臨席になり、お言葉がある。このことは、国会の要請に基づきまして天皇が日本国の象徴たる御地位に基づいて行われるところのいわゆる公的な行事といいますか、公的な行為ということと存じておるわけでございます。したがって、憲法七条に基づく行為そのものは召集することであって、それから臨まれるのは国会の方の要請に基づいて、それに応じて御臨席になり、お言葉がある。その行為の性格は何かと言われれば、象徴天皇の、日本国の象徴たる天皇の地位に基づいて行われる公的な行為である、かようになるのではないかと存じます」
要は、憲法が定めた国事行為ではないので、国会の要請によると説明したという訳だ。
もう1つ。新しい憲法の下での国会開会式をどんな内容にするか、宮内庁の記録。1947年5月17日の「国会開会式に関する打ち合はせ会」についての記録という。「国会の開会式の性格」について、次のように説明している。
「(新憲法下では)従前の様に天皇親臨とか開院式とかは行はなくてもよい訳であるが、国会法其他が制定される際の議院全般の空気は立法の最高機関である国会のことなれば儀礼として式を行いそこに陛下の臨幸を仰ぎ儀式そのものを意義づけ又荘厳にすると言ふのが衆議院全体の思想であった」
新憲法下での新たな国会開会式についての国会の議論には「陛下と国民を政治的にでなくて国民感情の上でつながりを維持して行く方法という大事な問題」という発言もあった。開会式に出席し、「お言葉」を発する天皇とそれに頭を垂れる国会議員たち。それが、国民主権にとってどんな意味を持っているか、いうまでもないだろう。
「天皇の退位」問題もふくめて、「象徴天皇制」について考え、決めるのは主権者としてのわれわれ国民1人1人であることを自覚したい。