【沖縄とともに】

星英雄:米軍基地強化の伊江島で、住民たちはオスプレイ配備撤回、F35B訓練場建設に反対する〈2017沖縄レポート②〉

 伊江島はいま、米軍基地(伊江島補助飛行場)の機能強化工事が進行している。強襲揚陸艦の甲板を模した着陸帯「LHDデッキ」の拡張工事だ。

 「これまでのLHDデッキのアルミ板をはがし、侵入部をアスファルトに、LHD部分はコンクリート、垂直離着陸の部分は耐熱コンクリートにする」「オスプレイや、ハリアー攻撃機に替わるより大型のF35B戦闘機は強力なエンジンを積んでいる。激しいジェット噴射に耐えられるように、そして草などを吸い込んでエンジンを破壊されないように、より強化する必要に迫られている。面積も長さも2倍になる」と名嘉實・伊江村会議員は説明する。

 強襲揚陸艦は有事の際、海兵隊の「強襲揚陸作戦」を担う。兵士や物資、戦闘機、ヘリコプター、水陸両用車などを載せ、沿岸部から内陸へと攻め入る。しかし、オスプレイやハリアー攻撃機などの海上での着艦は事故が絶えない。そのため、LHDデッキでの訓練を要する、のだ。

 CV-22オスプレイと最新鋭ステルス戦闘機F35Bの駐機場も建設中だ。空軍のCV-22は横田基地に配備予定。海兵隊のMV-22にはない、地形追随装置などを装備している。

 伊江島の米軍基地は島の面積の3分の1強を占拠している。米海兵隊が管理する基地だが、海軍、空軍、陸軍、海兵隊の4軍の訓練場となっている。米軍機がひっきりなしに飛来し、2つに分かれて撃ち合う地上戦、パラシュート降下、重量物投下、垂直離着陸などの実践的訓練が繰り返されている。伊江島でしかできない即席の滑走路の建設訓練もある。沖縄本島ではできないような激しい訓練が伊江島で行われている。伊江島での訓練が、米軍の戦争を支えているのだ。

〈写真は3枚とも名嘉村議提供〉

〈写真は3枚とも名嘉村議提供〉

170110_104522

170110_104723

 米軍の訓練に住民の生活は脅かされ、基地の強化工事も住民には連絡ひとつない。今年1月10日には、オスプレイからパラシュート降下訓練中の米兵1人が葉タバコ畑に降りる事件が発生した。米軍艦が伊江港に入港することについて、伊江村議会は抗議の意見書と抗議決議を全会一致で採択した。村長も軍艦の入港は止めてほしいと米軍などに申し入れたが、米軍は聞く耳持たずで強行した。住民の不安は募るばかりだ。

 戦後72年、米軍基地がなお島の3分の1を占め、いま基地機能は強化される。高江や辺野古と伊江島を結べば、沖縄の危険な軍事要塞化が見えてくる。

 謝花悦子さんにお会いするのは2013年1月以来のことになる。1月29日、本部港をフェリーに乗って出発し、伊江島についたのは午前9:30。港の前の店で貸自転車を借り、反戦平和資料館「ヌチドゥタカラの家」を目指した。着いたときは10時前だったが、すでに館長の謝花悦子さんが16人の訪問者に、阿波根昌鴻の反戦・平和思想や伊江島の歴史について話はじめていた。

 阿波根は戦後、米軍の土地強奪や基地と闘いつづけ、その非暴力の思想は高江や辺野古の闘いに継承されている。戦後の伊江島・沖縄を語るとき、不可欠の人物である。

 謝花悦子館長の話をごく手短に報告すると、以下のようなものだった

〈「伊江島にオスプレイがきて大変だ」、と訴える横断幕を背に、話をする謝花悦子館長と真剣に耳を傾ける来訪者たち〉

〈「伊江島にオスプレイがきて大変だ」、と訴える横断幕を背に、話をする謝花悦子館長と真剣に耳を傾ける来訪者たち〉

 阿波根は戦争で農民学校を開設できなくなり、1人息子も殺された。日本は戦争のたびに人を殺しつくしてあれだけの植民地を奪ったことがわかった。戦争は人災だ、絶対に許すわけにはいかないと怒ったが、暴言、暴力は振るわなかった。非暴力の抵抗をつづけた。

 旧日本軍が土地を強制接収し、住民を昼夜働かせてつくった飛行場は上陸した米軍の本拠地になった。その飛行場が完成した2日後に、日本軍は爆破しろと命令した。「敵に使わせるのはもったいない」というのだ。アメリカに負けることを知っていたからだ。ならば、その時にやめれば沖縄の犠牲はなかったはずだ。この無責任さをいまも許すことはできない。

 戦争で伊江島は全滅させられた。伊江島の島民は戦争が終わっても2年間、帰島は許されなかった。なぜか。その間に米軍によって伊江島全体が米軍の飛行場にされていたのだ。私が伊江島に戻ってきたとき、どの家も迎えに出る人はいなかった。全部殺され、家もない、土地もない、人間もいない。この島で生きることができるか、想像できない大きなショックを受けた。食べるものはなく、ソテツの真っ白い芯を食べた。「チリ捨て場」で米軍の残飯などを拾い、命をつないだ。

 戦後、やっと餓死しない程度の伊江島になったとき、米軍が152軒に「立ち退け」と言ってきたのが、沖縄の基地問題の始まりだ。米軍は家を焼き、ブルドーザーで破壊して基地をつくっていった。

〈反戦資料館に掲げられている陳情規定。米軍の土地取り上げと闘うための「非暴力主義」が貫かれている〉

〈反戦資料館に掲げられている陳情規定。米軍の土地取り上げと闘うための「非暴力主義」が貫かれている〉

 原発事故から5、6年たっても帰れない福島の放射能の恐ろしさを知った私たちは、戦争の恐ろしさを考えなければいけない。戦場を残すか、平和な社会を残すか、これは大人の責任だ。

 謝花館長が代表理事を務める「わびあいの里」は、昨年12月『伊江島 平和ガイドマップ 解説書」の第2版を発行した。「わびあいの里」はオスプレイの配備に対し2013年から毎年3月に抗議行動を主催してきた。

 今年は3月4日に「伊江島米軍演習場の機能の強化に反対する集い」と「第15回ゆずり合い 助け合い 学び合う会」を開催する。(詳しくは〈安保由紀子:伊江島の学びの会にご参加を=2月1日投稿〉参照)。「平和の武器は学習だ」と繰り返し語った阿波根昌鴻の考えに沿うものだ。

 謝花館長は最後に私にこう言った。「来訪者が少しずつ増えていることは嬉しい」。伊江島の、数少ない信号機のある交差点に、「オスプレイ配備撤回・F-35B訓練場建設反対」の、大きな横断幕が張られていた。DSC05412

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)