東京電力福島第1原発事故から6年。安倍政権は避難指示の解除を進め、自主避難者にたいする住宅無償提供を打ち切る。3月20日、東京・代々木公園で「いのちを守れ! フクシマを忘れない さようなら原発全国集会」(主催・「さようなら原発」1000万署名市民の会)が開かれた。会場には脱原発関連のさまざまなブースがならび、署名活動も活発で、1万1000人(主催者発表)が思いを1つにした。時代遅れの原発にさようなら。
主催者あいさつは作家の落合恵子さん
──自主的避難者の住宅支援が打ち切られようとしている。だれがあの事故を起こしたのか。この国は福島の人々の生きる権利を奪おうとしている。何が民主主義か。沈黙は破るためにある、不当と不正と不寛容と闘い続けることを約束しあおう。
福島の人々のスピーチがつづいた。原発事故による放射能の不安を抱え、子育て真っ最中の母親たちが結成した「3a郡山」代表、野口時子さん
──福島では復興が何より大事だとされています。そこで働き、そこで生きるしかない状態にされれば、復興に気持ちは向きます。国や自治体は「忘れてしまえ」と、仕向けてきます。東京オリンピックの会場にも選ばれました。このまま世の中は放射能災害を忘れてしまうのか。健康被害はなかったことにされるのか。放射能から子どもを守りたいと行動する親たちを変人扱いするのか。みなさん、こんな私たちがいることを忘れないでください。私たちを応援してください。
自主避難者への住宅無償提供の打ち切りで、被災者が新たな生活困窮に陥っている実態も報告された。川崎市に避難している松本徳子さん
──原発事故で生活は一変した。なぜ国や県は、まだまだ高い放射能の危険な場所に帰れというのか。賠償責任は自己責任にすり替えられ、この国は未来のある子供たちに何を残していくのか。前橋地裁の判決は、国と東電が事故に平等に責任を持つべきことを明らかにしたと思う。人々の生きる権利は平等です。
双葉町から避難している女性
──故郷双葉町を離れて6年。地獄の苦しみ、本当につらかった。いじめは子供だけではない、私もいじめられた。ラーメンを食べていただけなのに、『被災者のくせに』と。自分は好き好んで被災者になったのじゃない。原発再稼働には絶対反対です。
被爆労働者の「あらかぶ」(仮名)さん(42歳)
──妻や子どもたちに反対されたが、少しでも福島の人たちの役に立てるならと原発の収束作業のため働いた。ところがAPD(ポケット線量計)は解除、鉛ベストは不足というずさん、でたらめな状況だった。はじめは風邪のような症状だったが白血病と診断され、目の前が真っ暗になった。なんで自分が死ななきゃならないんだ。
裁判を起こしたのは、東電にきちんと責任と向き合ってほしいから。福島の原発事故収束作業に従事した多くの労働者の1人として、他の作業員たちのためにも声をあげる責任が私にはある。東電に責任を認めさせることで、このようなことが繰り返されないことを望みます。
ルポライター鎌田慧さんの閉会あいさつ
──原発をめぐる情勢は一変した。6年前、原発反対派はほんの少ししかいなかった。しかし前橋地裁は原発事故の責任は国と東電にあることを明確にした。もうすでに原発は時代遅れだ。黄昏だ。最後のひと押しするのが私たちの運動だ。
東芝、ウエスチングハウスをみろ。いまや原発は行き詰って、自然エネルギーに向かって進んでいる。私たちは孤立していない、世界的に連帯している。