私は、福岡県田主丸町(現久留米市)生まれです。昭和28年(1953年)の西日本大水害(豪雨1千㍉)を経験し筑後川の堤防が幾カ所も破堤し、洪水で茅葺の家が田んぼに浮いて流れる光景が子どもの記憶で焼きついています。私が生まれ育った町は、今回、被害の大きかった朝倉市とは筑後川をはさんで隣り合わせです。どうしても現場に行きたかった、カメラに収めたかったのです。
7月5日からの九州北部の600ミリを越える豪雨では18日現在、死者が34人不明者が7名もいます。当初は福岡・大分両県を中心に51万人以上に避難指示や避難勧告が出されました。日田杉の産地大分県の日田市小野地区の山が巨大な斜面崩壊・土砂崩を起こし、赤谷川を流木が流れ居住地を襲い大きな被害をもたらしています。幸い小野地区では住民の避難が早く犠牲者は出ていませんが警戒の消防団員が亡くなっています。
今回は筑後川に注ぐ多くの支流の河川が杉などの流木で川をダムと化して住宅に流木が刺ささり河川の流れを堰き止め洪水の被害が目立ちます。豪雨被災での孤立地区の救助では消防や警察に自衛隊などの救出、不明者の捜索が梅雨明けの炎天下で続いていました。
山が多い大分県日田市・東峰村・朝倉市の山沿いでは杉山などの斜面崩壊が790ヶ所を超え、豪雨で土砂崩壊の山がいたるところで見られます。
森林の下草刈や林野の手入れがなされていない政府の林業の無政策が日本列島のどこでも起きうる現実を突きつけられていることを痛感します。地元福岡県や他県からのボランティアグループが各地から駆けつけ、スコップなどでの民家の土砂排出に懸命です。女性も各地で汗をかいている光景を見ました。