南スーダンPKO(国連平和維持活動)の日報隠蔽問題で、稲田防衛大臣は自分の責任を認めることなく辞任した。しかし、稲田大臣の責任問題は当然としても、安倍首相その人の問題、安倍政権の構造的な問題であることを見落としては、問題の矮小化になってしまうだろう。
特別防衛監察の結果は多くの人が予想したとおり、稲田氏の責任は追及されなかった。特別防衛監察の報告書は事務次官、陸幕長らが稲田大臣に対し報告した事実は否定しきれず、「陸自における日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できない」と言っている。しかし、隠蔽に関与したとは認めていない。
フジテレビなどの報道で、このときのやり取りのメモの存在が明らかになっている。稲田大臣は国会審議を前にして「明日、何て答えよう」と発言したという生々しいメモだ。しかし、その内部文書も無視された。
安倍首相は稲田防衛大臣の辞任についてこう語った。「閣僚の任命責任についてはすべて総理大臣たる私にあります。国民の皆様の閣僚に対する厳しいご批判については私自身、真摯(しんし)に受け止めなければならないと思っております」
問題は稲田防衛大臣にあり、間接的にその任命責任はある、というに過ぎない。しかし、それだけか。
隠蔽されていた日報は2月に開示された。黒塗り部分もあるが、そこにはこんな内容が報告されていた。「突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要」、「日本隊宿営地西側、UNトンピン外のトルコビル一帯において、SPLA(政府軍)戦車1両を含む銃撃戦が生起、日没まで戦闘継続」・・・。
PKOに派遣される陸上自衛隊は隊員の命を大事にすることでよく知られている。南スーダン派遣部隊からの日報は、SOSのようでもある。
問題は、そんな防衛省・自衛隊がなぜ日報を隠蔽しなければならなかったのか、この点を明らかにすることだ。
昨年8月、内閣改造で安倍首相が稲田氏を防衛大臣に任命した時は驚きの声が上がった。2014年、前代未聞の当選わずか3回で自民党政調会長に抜擢した。今度は実力部隊の防衛省・自衛隊である。安倍首相は秘蔵っ子の稲田氏に、将来の総理候補として経験を積ませる考えだ、など安倍首相が抜擢したことにスポットを当てた論評が多かった。
しかしこの人事を安倍首相の意思と客観的状況にスポットを当てると、どうか。
安倍首相にとって、南スーダンPKOを「成功」させることは至上命題であった。憲法違反の安保法制(戦争法)による駆けつけ警護の任務を自衛隊の部隊に付与しなければならない。しかしこの時期はPKO5原則が破たんしている状況だった。
2016年7月にはすでに「戦闘状態」を知らせる現地自衛隊の日報が届いていた。ここを乗り切って「悲願」の駆けつけ警護の任務を付与するにはどうすればよいか。閣議決定で、駆けつけ警護を付与したのは同年11月。日報を開示したのは翌2017年2月だった。
稲田氏を防衛大臣に任命したのはそんな時だったのである。安倍首相の「秘蔵っ子」とは、見方を変えれば「安倍チルドレン」のことである。安倍首相に抜擢されて、異例の出世街道を歩んできた稲田氏が安倍氏に従順でないはずがない。
ど素人の稲田防衛大臣の誕生は、防衛省・自衛隊の幹部たちにとって、つねに安倍首相を意識することを迫られることになる。「真の防衛大臣」は安倍首相なのだ。稲田防衛大臣を据えることによって、安倍首相にとっては最も危険な時期、安保法制にもとづく武器使用権限をもつ駆けつけ警護がとん挫する危険を乗り切ってしまったのだ。
防衛省・自衛隊も安倍首相には逆らえない。日報を隠蔽しなければならなかった事情は他の省庁とさして変わらないはずだ。行政を不当に曲げようが何しようが、安倍首相の顔色をうかがいながら動くのがいまの官僚機構だ。官僚の幹部人事を官邸に握られている。防衛省・自衛隊も安倍官邸に幹部人事で煮え湯を飲まされた痛い経験がある。
そう。加計学園問題や森友学園問題とそっくりではないか。加計学園問題では、意思決定の過程を示す文科省の内部文書は「怪文書」とみなして排斥。森友学園問題では文書そのものを破棄したと証拠を隠滅し、政権の行為を正当化した。安倍首相の意思ありき。憲法にも法律にも縛られない。南スーダンPKOの日報隠蔽問題も安倍政権の構造的な問題なのだ。
だが、安倍首相が迫る内閣改造を待たずに稲田防衛大臣の辞表を受理せざるを得なくなったことに、安倍政権の弱体ぶりが現れていることは間違いない。主権者国民の意思が投影されている。