【連帯・社会像】

栗原伸夫:新安保法制法の違憲判決を強く求め、陳述書を提出しました~損保人として、市民として、親として

 私は「安保法制違憲訴訟埼玉の会」の原告438名のひとりとして、2016年6月20日のさいたま地裁提訴に参加しました。口頭弁論も進み、私もこのたび裁判所宛ての陳述書を弁護団に提出しました。安保法制違憲訴訟は現在、全国で20の裁判所で、原告6,676名、弁護団1,614名により審理が進められています。平和主義、基本的人権の尊重、国民主権を定める現憲法のもとで、三権分立の一翼を担う司法・裁判所が、内閣、国会の暴走を止める良識ある判断をされるよう、陳述書で強く求めました。

 陳述書に私がどんな思いを込めたか、少しばかり話したいと思います。

 損保は平和産業だ

 私は損害保険会社に就職し、2002年までの38年間、主として、事故が発生した際の損害額の調査・確認と保険金の支払いを行う「損害調査部門」を担当しました。

 仕事を通して、損害保険の本質は「平和産業」だ、と確信しています。
 日本損害保険協会は、その行動規範で「市民の安全・安心な生活と安定した事業活動のお手伝いが、損害保険の社会的な使命である」と定めています。損害保険は「大数の法則」に基づいて多くの契約者からの保険料により、万が一の過失や災害によって生じた損害を補償するもので、「一人は万人のために、万人は一人のために」という相互扶助の精神こそが原点です。私たちの誇りや生きがいは、そうした保険の本質を具現化するなかで生まれるものです。

 保険産業は、平和が大前提です。すべての損害保険の普通保険約款には「戦争、外国の武力行使、革命、政権奪取、内乱、武装反乱、その他これらに類似の事変または暴動」により生じた損害は免責(注・保険金支払いの対象とならない)と規定されています。つまり、「戦争状態」のもとでは保険金は支払われませんし、ましてや新らたに保険に加入する人もいないでしょうから「商売」そのものが成り立ちません。

ところが、いま、新安保法制(戦争法)によって、その保険のあるべき姿と平和な社会が音を立てて崩されようとしています。わたしたちの生きがいと誇りがズタズタに引き裂かれ、わたしたちの精神的苦痛は極限にまで達しようとしています。

 格安の「PKO保険」

新安保法制(戦争法)成立以前にも、すでに、その序曲は奏でられていました。その一つに国策による「PKO」保険(国連平和維持活動傷害保険―自衛隊等の固有危険補償特約付海外旅行傷害保険)の発売があります。

 2004年1月、イラク復興特別措置法に基づく自衛隊のイラク派遣の際、損害保険業界は防衛庁共済組合を契約者、自衛隊員を被保険者とする「PKO」保険を発売しました。通常では補償されない「紛争、武力行使、政権奪取、内乱、そのた類似の事変に伴う死亡・後遺症障害を補償する傷害保険」です。

 一般人ではとても引受けのできない「戦闘地域」に適用、保険料も通常の3分の1と驚くほどの格安(死亡保険金1億円の場合、月額保険料15、610円)に設計されたものです。自衛隊員の死亡に対する弔慰金、国家公務員災害補償などの公的補償に加えて民間の保険も手厚くすることで後顧の憂いなく任務に従事できるよう、隊員及びその家族の「戦争リスクへの不安」を糊塗しようとする政府の思惑と追従する損害保険業界の姿勢が見て取れます。保険会社が国策に取り込まれている姿です。

 新安保法制によってPKO部隊に、憲法違反の新任務「駆けつけ警護」と「共同防護」が付与されたことにより、隊員が人身傷害に遭遇する危険度が格段に高まりました。同時にその業務に関わるわたしたち損保社員の苦悩と苦痛もまた、一層重く、大きくなりました。

 たとえば、南スーダン派遣自衛隊員への「PKO」保険の募集は、営業社員が代理店(自衛隊の別働体)に同行するなどして、隊員、家族向け説明会の中で行いますが、戦闘地域に派遣される第11次隊員に「万が一のための保険」などと言えるのか、不安な眼差しで見つめる家族に、さらなる心配を増幅することにならないか、営業社員の「苦悩・苦痛」の深さはとても耐えられものではありません。

 また、損害調査を担当する社員にとっては悲しみをこらえながらの仕事となるのです。保険会社は、いま、まさに「戦争できる国」の片棒を担ぐ機関となろうとしており、そこで働く社員の精神的苦痛は、一層耐え難いものになってきています。

 「戦争保険」について

 かつての大戦の、いわゆる「戦争保険」についても話します。アジア・太平洋戦争時の昭和17年1月には、任意保険の「空襲保険」が発売され、昭和19年4月には「戦時特殊損害保険法」により普通火災保険に強制付帯とされることになりました。

 戦局が転換し始めた昭和18年3月には、「戦争死亡傷害保険法」に基づき、日本国内外での戦闘行為に伴う死亡・後遺症障害を担保する「戦争死亡傷害保険」を発売しました。それは「総力戦の一環としての確乎不動の態勢を確立するため」(内閣情報局)の保険販売でした。収入保険料が3,946万円に対して支払い保険金は1億9,167万円、保険料を超える部分はすべて国(税金)からの支出でした。

 これらの歴史は、保険と戦争は全く相容れないものであることを示しています。

 すべての元凶は新安保法制(戦争法)

このような事態につながる新安保法制(戦争法)に、私は戦慄とともに強い憤りを覚えます。私の精神的苦痛は極限に達しています。戦争保険やPKO保険は、「戦争死亡傷害保険法」やPKO協力法などを根拠に、いずれも政府の強い関与のもとで発売されてきました。

 したがって、わたしたちの精神的苦痛の元凶である、現在の「PKO」保険を廃止若しくは販売を中止するには、「海外での戦争や武力行使など憲法違反の事故に起因する損害を補償する保険の販売はできない」として、政府の要求を拒否することが求められます。

 そのためにも、司法の場で、改正国際平和協力法をはじめとする新安保法制法は、その内容は憲法第9条に違反し、立法手続きにおいても適格性を欠くものであり、憲法違反である、となんとしても判示していただきたいのです。

  平和的生存権、人格権、憲法制定権侵害に対する、私の決意

 新安保法制は、市民や多くの憲法学者たちの反対の意思を無視し、閣議決定だけで 従来の政府解釈を一変させ「集団的自衛権の行使容認」を強行採決するという、政府の歴史的暴挙によって成立したものです。内容、制定過程いずれも、私にとって耐えがたき憤りと無念、そして悲しみを覚えるものでした。いまもその気持ちは癒えるものではありません。

 私はこれまでの70年間、「われらは、各世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と謳う前文をはじめ、憲法の平和主義、基本的人権の尊重、国民主権を誇りとして生きてきました。これらの誇りや生きがいを一瞬にして破壊した新安保法制をとても容認することはできません。

 私は、損保人として、市民のひとりとして、また「平和」を子どもや孫に継承しなければならない親のひとりとして、新安保法制法の廃止のために、残りの人生をかける決意であります。

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