辺野古新基地建設に、なぜ安倍首相はこだわるのか。この問題を追求していくと、日米安保条約を柱とする日米安保体制・日米同盟の根本的な問題にぶつかる。
実は日米安保ムラには、「日米安保条約紙切れ」論と「日米同盟は米中関係の従属変数」論の2つの「論」がある。つまり、「アメリカはいざというとき日本を守らない」、「日本はアメリカに見捨てられる」という不安を掻き立てられている。このことを理解しないと、安倍政権の振る舞いは分からない。なぜ「アメリカファースト」のトランプ米大統領に尻尾を振るのか。なぜ沖縄・辺野古に巨額の税金を投入して新基地を建設し、アメリカに提供するのか。なぜ憲法違反の安保法制(戦争法)を強行したのか。なぜ核兵器禁止条約に背を向けるのか──等々である。
アメリカに見捨てられる恐れが「アメリカに認められる日本にならなければ」、そのためには「日本はさらに犠牲とコストを払わなければならない」という、極めて倒錯した論理と行動に駆り立てる。安倍首相が力説する「日米同盟強化」とはこのことである。
めったに表には出てこない、日米安保ムラの本音を紹介し、日米同盟の本質に迫ってみたい。(アメリカの軍事力に依拠し、日米軍事同盟を維持・強化することが日本の国益だとする政官財エリート層や学者らの集団を、「原子力ムラ」に習って「日米安保ムラ」と呼ぶ)
自民党の高村正彦副総裁は安倍晋三首相の信頼が厚いことで知られる。安倍首相が自民党総裁に選出された2012年9月からずっと副総裁の任にある。砂川事件の最高裁判決を引き合いに、限定的な集団的自衛権の行使は認められると主張し、集団的自衛権の行使を認める閣議決定の文案づくりや安保関連法(戦争法)の法制化作業を主導したといわれる。
日米安保条約の義務を実行するかしないかはアメリカが決める
その高村氏が一瞬、本音を漏らしたことがある。安保関連法案が最終局面を迎えていた2015年9月13日、与野党ともに党首クラスが出席したNHKの「緊急生討論 10党に問う どうする安保法案採決」という番組においてだ。
問題の場面は、放映30分過ぎに訪れた。岡田克也民主党代表は「政府はアメリカが日米安保条約の義務を果たさないという前提で、安保法案の議論をしているのではないか」と高村自民党副総裁に質した。
高村氏は「アメリカは日本防衛義務を果たす」とは言えなかった。歯切れ悪く、こう答えたのだ。「アメリカは世論の国ですから、政府が果たそうと思っても果たせないことも出てくる。条約上の義務といっても、どこまでやるかはアメリカの判断だ。精一杯やってもらうためにはわれわれもせめて、近海における日本を守るための米艦ぐらい守らなきゃいけない、最低限」
まさに、日米安保条約・日米同盟の核心にふれるやりとりだった。岡田氏が指摘した「日米安保条約の義務」とは、1960年の安保国会にさかのぼる。岸信介首相がアメリカは「明確に日本を防衛する義務を負う」と答弁し、現行日米安保条約の目玉として喧伝した。「アメリカに基地を提供するのは日本を守ってくれるから」という幻想が、日本社会に流布されてきた。しかしそれは、欺瞞だったのだ。「義務」なら、高村副総裁が「政府が果たそうと思っても果たせない」などとは言わない。
「アメリカの日本防衛」は日米安保条約上の「義務」というのが政府の立場だが、安倍首相が信頼する高村・自民党副総裁が「アメリカの判断次第」というのだから、日米安保条約は根底から崩れる。日本がアメリカに基地を提供する根拠はなくなる。いわば、日本を守るも守らないも「アメリカの勝手でしょ」というわけだ。しかもそれは高村氏1人だけのものではない。日米安保ムラに深く浸透している考えだ。それが、「基地を返せ」ではなく、「もっと犠牲とコストをアメリカに支払わなければならない」という、倒錯した論理と行動となって。
もっとも、岡田氏自身はアメリカに対し底抜けの信頼を示し、他の野党代表たちも、この重大問題を素通りしてしまった。
日本の歴代政権は「日米同盟は日本外交の基軸」などと、アメリカの軍事力頼みで日本の進路を描いてきた。だからアメリカは、日本に対する殺し文句を知っている。「米軍を引き揚げる」「日米同盟は終わりだ」といえばよい。すると、日本政府は多大の犠牲を払ってまでも、米軍の引き留めにかかる。たとえば辺野古新基地建設のように──。
アーミテージが安倍首相を一喝
──「いざというとき、アメリカは日本を守らない」という不安に駆られるのは安倍首相も同様である。その行き着く先が安保法制だった。アーミテージ元国務長官に「集団的自衛権が行使できないなら、その瞬間に日米同盟は終わる」と一喝されたことを安倍首相自身が明かしている。
〈「アメリカの軍艦と日本の軍艦が尖閣諸島周辺の公海をパトロールしているときに、アメリカの艦船が中国の攻撃を受けたら日本の自衛艦は助けることができるのか」。もしも、それは憲法上許されていない「集団的自衛権の行使」にあたるからと拒否したら、その瞬間に日米同盟は終わるとアーミテージは言いました。〉(『歴史通』2011年1月号)
安倍氏が首相に復帰するほぼ2年前、第90代内閣総理大臣の肩書を付してのインタビューだ。
アーミテージ氏に一喝されたことがよほど響いたのか、その後安倍氏は自民党総裁として集団的自衛権が行使できないと「日米同盟は終わる」と講演して回った。そして安保法制の国会審議の中でも、米艦防護をしないで若い米兵が死んだら「その瞬間に日米同盟のきずなは決定的な打撃を被る」と、首相として答弁したのであった。
「アメリカに認めてもらえる日本にする」。米艦防護・安保法制もルーツはここにある。
安倍首相がなぜ憲法違反の集団的自衛権行使を強行したのか、よくわかるではないか。松本清張の社会派ミステリーではないが、なにごとも動機の解明が肝心である。
中国の台頭は、「日米安保ムラ」の不安をいっそう掻き立てている。中国経済の発展が日米同盟の役割を低下させる懸念は、マイケル・グリーン元アメリカ国家安全保障会議(NSC)上級アジア部長らアメリカのジャパン・ハンドラー(日本を操る人たち)の間にもかねてからあった。
中国の台頭で日米同盟の役割は低下する
五百旗頭真・日本防衛学会会長(元防衛大学校長)はこういった。「中国が台頭し、アメリカは経済的機会がほしいので、中国と戦争するわけにはいかない」。2013年11月、日本防衛学会でのことである。
五百旗頭氏は日米同盟強化を力説してきた親米派の学者だ。福田康夫元首相の外交ブレーンとして知られ、中国通でもある。日米同盟は米中関係次第。米中が接近すれば、それだけ日米同盟の存在理由は低くなる、と不安に駆られている。
トランプ政権が中国に経済面で厳しく対応しても、米中経済の相互依存関係の深まりは否定しようがない。アメリカは戦争ではなく、経済的利益を欲しているのだ。
米中和解のニクソン・ショックもなお鮮明だ。だからこそ、米国の軍事力をバックに中国に対抗する安倍政権にとっては、トランプ大統領を引き付けておくことが至上命題となっている。尖閣諸島が日米安保第5条の対象であることを常にアメリカに確認を求めなければならなくなる。
しかし「対象」として確認しても、戦うことを約束したわけではない。そもそもアメリカの政権が変わるたびに確認しなければならない「日米安保条約上の義務」とは、おかしな話ではないか。「尖閣という島と、アメリカの国益を天秤にかけるほどアメリカはお人よしか」との指摘は当然だ。
「日米同盟は米中関係の従属変数だ」とは、日米安保ムラで自嘲気味に語られる言葉でもある。(続く)