【連帯・社会像】

名倉三也子:第63回日本母親大会の感想

今年は8月19日・20日と岩手県で開催されました。運営も以前のような分科会方式となり、特別企画も岩手県・宮城県・福島県の被災地訪問が各2~3コースの企画がありました。私は「岩手県・陸前高田市訪問」のコースに当選。19日当日の集合は盛岡駅8時半集合9時出発とハードでした。

東京駅から「はやぶさ1号6:32発」で盛岡へ。盛岡駅に到着しバス停へ急いでいると「歓迎日本母親大会」の看板が目に飛び込んできました、更に行くとプラカードを持った人たちや駅のコンコースの天井から歓迎の横断幕、以前は当たり前の光景が、ここ数年このような光景が無くなっていたのでとても感動しました。

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内陸の盛岡から三陸海岸の陸前高田までは約180㎞高速利用で2時間半かかりました。陸前高田市に到着して復興途中の市街地や未だ仮の市庁舎、市の職員の約400名、1/4の方が亡くなられたとの事。昼食後陸前高田市長の講演を拝聴しました。

陸前高田市は県内でも特に被害が大きく実際に市街地には当時の建物が残っていました。地震の際、戸羽太市長の奥様も津波でお亡くなりになられ、傷心の中復興作業に頑張っている時に心ない中傷やデマでご本人だけでなく、ご遺族の方々も大変傷つけられたと車中でガイドさんから伺いました。

<4階まで津波の被害に、5階は無事でした>

<7万本の松並木の内、残った奇跡の1本松>

翌日の全体会では、開会宣言も素晴らしく、続いて来賓挨拶では岩手県知事・盛岡市長・県労連議長と全県上げての歓迎を感じさせる感動的なスピーチでした。又今回の大会の後援には県内マスコミ20社、中央団体49団体、県内自治体・教育委員会全て、神奈川県と比べなんとこの違い(川崎市は後援拒否)、県内団体15(PTA・JA・JF他)ありました。

岩手県には原発はありません、計画はあったが女性達でストップさせたと、又、日本で初めて老人医療無料化(1960年)、女性の差別撤廃運動も30歳定年撤廃・結婚退職撤廃・女性の家族手当支給・保母の職業病認定東北で最初、江戸時代に襲われた大津波後の南部三閉伊一揆では「小〇(困る)」の旗を掲げ女性も参加。尚、現在も国会前の抗議にも「小〇(困る)」の旗を持参し参加をするとききました。逞しさは遠い昔からの伝統で、1955年の「第1回世界母親大会」(スイス・ローザンヌ)にモンペ姿で参加した「土川マツエさん」も岩手県出身の女性です。(元全損保同和支部)

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